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2017年08月24日23:05

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(131)

日本プロレスの歴史上においても珍しいカネック敵前逃亡事件ですが、時間が経つにつれその内容が判明して来ました。

私は2011年3月に書いた別連載「猪木とビンス」(90)と(91)で当時のカネックの置かれていた状況やDEEPに来日した時のカネックのインタビューから推測を書いております。

その中で当たっていたこともあれば的外れな部分もありましたが、素行不良で知られるロン・スターが同じシリーズに参加していたことがあり、カネックより下のポジションで仕事をしていたスターが英語を話せないカネックを他の外国人レスラーと共謀してイジメに走った、というのは当たっておりました。

また藤波vsカネックのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合はマスカラ・コントラ・カベジェラ(敗者覆面剥ぎ&紙切りマッチ)として行われることが「途中から」発表されており、それに対して新日本プロレスにカネックが不信感を持った。というのもまず当たっていると言えます。

2012年に辰巳出版から発売されたGスピリッツでドクトル・ルチャこと清水勉氏がカネックにあの時の真相を、ということでインタビューしていますが、そちらがまず正解でしょう。

メキシコのルチャドール達から絶大な信頼のある清水氏は週刊ゴングの編集長を勤めた人物であり、事実の歪曲は考えられないと思うからです。ただカネックも40年近く前の話であり、記憶が曖昧な部分も当然あると思われ、また全て本当のことを言うとは限りませんが…。

大垣での藤波とのノンタイトル戦(78年3月17日)で膝を痛めたカネックは歩行もままならず、大垣大会の後も数試合出場したものの腫れは引かずマッチメーカーだった山本小鉄に申し出。

滅多に国外に出ず、スペイン語以外話せないカネックは上手く症状を伝えることが出来ず。小鉄はカネックの言い分を理解出来ず試合するように促すも試合が出来る状態になかった。

シリーズ参加外国人の中でスペイン語が話せるのはプエルトリコのロベルト・ソト位。

初来日のカネックは最終戦で藤波のベルトに挑戦するなど特別待遇であり、アメリカではカネックより実績のあるマスクド・カナディアンのロディ・パイパーやスター、ソトより上のポジションであり、カネックも扱いを鼻にかけて態度が大きくなっていたのは確かでスターが主犯格となって会場の控室で試合に出ないカネックに対し、リンチを加えたというものでした。

それが嫌になったカネックは最終戦の蔵前大会のあった3月30日の昼間、来日してから男女関係になったとされる日本人女性の間引きにより、宿舎だった京王プラザホテルから荷物を纏めて羽田空港からメキシコに帰ってしまった、ということです。

当時の別冊ゴングに掲載された記事ではカネックは深夜遅くどこをどうやって来たかは不明だが京王プラザホテルに戻って来て、怒ったソトが「このレスラーの面汚しがっ!」と平手打ちを食らわせるとカネックはオイオイと泣き出した、

という記事はカネックの発言が本当なら創作されたものであったことになる訳です。
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