北米タッグ王座を奪取したハリウッド・ブロンドス迎撃に、ついに長期欠場明けの猪木が腰を上げざるを得ない状況になりました。
75年9月26日、熊谷市民体育館で猪木は(この時は通常の黒のショートタイツ)星野勘太郎と組んでブロンドスと対戦。しかし結果は1本目は星野が、2本目は猪木がフォールを奪われてしまい2-0でストレート負け。
特にこの日はテレビ中継で前半に9月22日、愛知県体育館での坂口、ストロング小林組vsブロンドスの北米タッグ王座決定戦(フィルムにて撮影したもの)。後半に熊谷からの生中継を流し、ブロンドスの強さをより印象付けています。
10月2日、大阪府立体育会館では名古屋で2フォール奪われて惨敗したS小林に代わり、猪木が坂口との黄金コンビでブロンドスの北米タッグ王座に挑戦しています。
1本目は17分31秒、坂口がバディ・ロバーツを片エビ固め、2本目は13分56秒に坂口を体固め。
決勝の3本目は猪木、坂口によるダブル・ブレーンバスターがリーダーのジェリー・ブラウンを捕らえ、観客席で翌週、猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑戦するルー・テーズの面前でバックドロップでブラウンを投げ、4分18秒に体固め。
30分を超える激闘の末、2-1で猪木、坂口組が勝利、2か月ぶりに王座奪還を果たしました。
ブロンドス2度目の新日本プロレス参戦は76年5月28日、後楽園ホールで開幕のゴールデン・ファイト・シリーズ。
モハメド・アリ戦前の最後のシリーズでした。エース格に来日が予定されていたのはブルート・バーナードでしたが、バーナードは来日前にオハイオ州コロンバスで交通事故に遭い来日中止、主役はブロンドスでした。
ちなみに開幕戦では佐山聡が魁勝司相手にデビュー戦を行っています。
猪木がアリ戦に向けた特訓の為、6月1日、秋田県五城目町広域体育館大会から欠場。
北米タッグ王座は76年1月29日、大阪府立体育会館でのタイガー・ジェット・シン戦で顔面裂傷を負った猪木が王座返上。
2月5日、札幌中島スポーツセンターにおける王座決定戦で坂口、S小林組がシン、ブルータス・ムルンバ組を2-1で破り王座獲得。
王者チームは坂口、S小林組に移動になっていました。ブロンドスからすれば直線的なファイトである王者組は組みしやすい相手。
6月4日、札幌中島スポーツセンターで坂口、S小林組の北米タッグ王座にブロンドスが挑戦。
坂口、S小林組は苦戦し1-1から両チームリングアウトの引き分けに持ち込むのが精一杯で辛うじてベルトを守りました。
77年は一度も来日がなく、1年半ぶりに参戦したブロンドスでしたが、シン、上田馬之助組がいたせいか、北米タッグ王座挑戦の機会は与えられず、ポジションは3番手位に落ちていました。
2月9日、東京体育館で猪木、坂口組とブロンドスが対戦。11分33秒、猪木がバックドロップからの体固めでブラウンをフォール。
ブロンドスは3度目の新日本参戦も本領発揮は出来ずに終わっています。
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