猪木はグレート・アントニオを顔面蹴りの連発で僅か3分49秒でKO勝ちしていますが、その表情は冴えたものではありませんでした。
猪木の38年に及ぶプロレス人生の中で、リアルファイトと呼ばれる試合の一つに挙げられる試合と言えますが、猪木はアントニオ相手に何故このような凄惨な試合を行ったのでしょうか?
開幕戦から無法乱入を繰り返した挙げ句無銭飲食を行って新日本プロレスの事務所に代金を請求された、というのはあくまでもアングル。
16年半前と変わらないビッグマウス、プロレスを舐めたような試合態度に猪木が激怒した、まあこれも理由の一つにはなりますが話のスケールは小さいという言わざるを得ません。
アントニオがレスリングの出来ない木偶の坊であることは呼ぶ前からおそらくわかっていた話です。猪木は木偶の坊だからといって相手を潰すようなことは滅多にしません。
2人合わせて600kgと言われた双子の巨漢レスラー、ベニーとビリーのマクガイヤー・ブラザーズとやった時にはマクガイヤーの片方を腹の上に乗せてブリッジしたり、2人がかりのサンドイッチ・プレスを受けて見せたりしちゃんとプロレスをやっています。
猪木も愛嬌があって日本のファンに愛されていたマクガイヤー相手にボコボコにしよう、という発想は出ないと思いますが、レスリングの出来ない巨漢相手を嫌ってプロレスをさせない、ということはしません。
猪木ぶちギレの背景は同時期、馬場の全日本プロレスが内外の強豪タッグチームを集めて開催されていた「世界オープン・タッグ選手権」が全国どこへ行っても満員の観客を動員(12月3日、愛知県体育館は除外)していたこと、これに対してイラついていたかと思われます。
世界オープン・タッグ選手権は12月2日、後楽園ホールで開幕戦が行われ、メインイベントは馬場、鶴田組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組の公式戦。
試合はブッチャーがジャンピング・エルボードロップから馬場を体固め。
試合後、なおも馬場、鶴田組を痛め付けようとするブッチャー、シーク組、そこへテリー・ファンクが救出に入りました。
しかし、テリーは返り討ちに遇ってしまい、シークの凶器で額をザックリ切られて流血しブッチャーのバンテージで首を絞められ白眼を剥いてロープ際で失神。
この時のテリーのやられっぷりは今では地上波で放送出来るシロモノではなかったですが、このテリーの渾身のセールにより、オープン・タッグ選手権の興行的成功は約束されたようなものでした。
蔵前の満員度合いをテレビ観戦でも見分ける一つの手段として1階枡席の銀色の柵が見えるか見えないか?がありました。
この日の猪木vsアントニオは明らかに銀色の柵が沢山客席後方に見ることが出来ました。
馬場が豪華メンバーを集めて盛大に興行をやっているのに俺は何でこんな奴(アントニオ)と蔵前の大舞台でやらねばならないのか!?という憤りがあったと思います。
かくして、全日本プロレスの世界オープン・タッグ選手権はこの時から1週間後の12月15日、蔵前国技館で最終戦が行われ、12500人(超満員)の観客を動員。
ドリーとテリーのザ・ファンクスがブッチャー、シーク組に反則勝ちし初優勝を果たしています。
それともう一つ、この位凄惨な試合であれば猪木のこの行為は間違いなく話題を集める、ならば普通のプロレスなどやる必要もない、「やってしまえ!」
という話ではなかったかと…
停滞ムードに終わった年末の新日本の77年でしたが暮れに明るいニュースが飛び込んで来ました。メキシコ、アメリカで修行中の藤波辰巳がニューヨークMSGで復活されたWWWFジュニア・ヘビー級王座決定戦に出場するというものでした。
ログインしてコメントを確認・投稿する