77年闘魂シリーズは実は外国人側のエースに予定されていたのは新日本プロレス初参戦となる黒い猛牛ブラックジャック・マリガンでした。
マリガンは70年11月にボブ・ウィンダムのリングネームで国際プロレスに初来日、タッグ職人として知られるラリー・ヘニングとのコンビで開幕戦の11月19日、足利市月見が丘学園体育館でサンダー杉山、グレート草津組を破ってIWA世界タッグ王座を獲得。
シリーズ中に3度の防衛を果たし、最終戦の12月12日、台東体育館で杉山、草津組のリマッチを受けて王座転落しています。国際を襲った外国人タッグチームの中では文句なく私選トップ5に入ると思います。
(他はディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組、マッドドッグ&ブッチャーのバション兄弟、ニック・ボックウィンクル、レイ・スチーブンス組、ダスティ・ローデス、ディック・マードック組のテキサス・ジ・アウトローズ)
その後WWWFでブラックジャック・マリガンに改名、WWWFとAWAの提携路線からAWAにも復帰しブラックジャック・ランザと組んでザ・ブラックジャックスを結成。
2度目の来日はマリガンとして73年9月の国際プロレス第5回IWAワールド・シリーズに参戦、決勝進出を果たし10月10日、長崎国際体育館ではラッシャー木村と優勝決定戦で対戦し敗れましたがインパクトは残しました。
74年からはテキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリックのリングにも参戦、その流れから74年10月には従兄弟のマードック、その従兄弟であるキラー・ブルックスらと全日本プロレスに登場。
しかし全日本では本領発揮出来ず11月7日、沼津市民体育館で馬場のPWFヘビー級王座に挑戦するも2-0のストレート負けを喫してしまいました。
ちなみに馬場のPWFヘビー級初代王者時代、2-0でストレート負けとなったのはマリガン以外に3人おり(プロフェッサー・タナカ、クリス・マルコフ、オックス・ベーカー)、彼らはいずれも2度と全日本には呼ばれていません。
マルコフは69年日本プロレス第11回ワールド・リーグ戦決勝で猪木に敗れていますが、名勝負だったとファン、関係者から高評価を受けていて、その価値を貶める為に馬場が呼んで潰したと思われますが、他は試合がしょっぱくて馬場の眼鏡には敵わなかったのでしょう。
大型パワーファイター外国人は馬場は大好きでムース・モロウスキー、マリオ・ミラノ等は好んで呼んでいましたが、動きは良かったです。
彼ら4人は試合が大味かつ単調過ぎてプロモーター馬場からは評価されなかったと思います。
全日本から帰国後、マリガンは75年8月26日、ペンシルバニア州フィラデルフィアでランザとのブラックジャックスでドン・デヌーチ、パット・バレット組を破りWWWFタッグ王座を獲得しています。
全日本では出来の悪かったマリガンでしたがアメリカでの実績はスタン・ハンセンより上。
マリガンがシリーズのエースに座るかと思いきや、新日本はハンセンにチャンスを与えました。
9月16日久留米・福岡県立体育館でマリガンは猪木とノンタイトルでシングルで対戦し15分6秒、弓矢固めで敗れています。
セミファイナルは地元で奮起する坂口がハンセンと両者リングアウトの引き分け。
新日本プロレスではマリガンの試合ぶりを見て考えたか、当初9月29日、大阪府立体育会館でマリガン、ザ・ハングマン組が坂口、ストロング小林組の北米タッグ王座に挑戦すると発表していましたが、ハングマンのパートナーをハンセンに変更しています。
マリガンは完全にシリーズの主流から外されてしまいました。
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