77年8月19日はシリーズ最終戦の8月1日、越谷市体育館大会を放送。
このアジア・チャンピオン・シリーズは先のゴールデン・ファイト・シリーズに次いで2シリーズ連続、東京での興行がありませんでした。
新日本プロレスは後楽園ホール初使用は旗揚げして1年4ヶ月後の73年7月6日で日本テレビと後楽園球場、読売巨人軍との関係から全日本プロレスの妨害工作があり使用出来ない時代が続きました。
その後は全日本、国際プロレス程の頻度はないもののコンスタントに使われて来ました。
しかし、76年8月27日〜78年11月17日の2年3か月の間は新日本プロレスは後楽園ホールは使っておりません。
さて、この日の中継での長州vsエル・ゴリアス戦でこの年4月に新卒(立教大学卒業)でテレビ朝日に入社した古館伊知郎アナが実況デビューしています。
この年、テレ朝は水面下で80年モスクワ五輪の独占放送契約を締結。その為新人アナウンサーを新規に大量採用、古舘の面接の試験官を務めたのが舟橋慶一アナウンサーでした。
舟橋アナは古舘の才能を見抜き、採用を決定。同期には佐々木正洋、渡辺宜嗣、雪野智世らがいます。
同時に舟橋アナはモスクワ五輪の中継要員としてワールドプロレスリングから1年後に勇退することになり、後継者の育成が急務となっていました。
古舘アナは舟橋アナの鞄持ちとして4月22日、大阪府立体育会館のゴールデン・ファイト・シリーズ開幕戦から新日本プロレスの巡業に同行。
サイドレポーターを経て入社4ヶ月で初の実況となった訳です。
古舘アナは後に桜井さん、後から解説者として加わる山本小鉄と3人でゴールデンタイムの顔と成長していきました。
試合は長州がサソリ固めでゴリアスからギブアップ勝ちを収めています。
セミファイナルはストロング小林がブラック・ゴールドマンを体固め。
メインイベントは坂口、マサ齋藤組の明大同期の桜コンビがタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組と対戦という好カードが実現。
1本目は齋藤が上田を体固め。2本目は上田が齋藤を片エビ固め。決勝の3本目は齋藤が反則負けとなり2-1でシン、上田組が勝利を飾りました。
齋藤はこのシリーズが助っ人としては最後の参戦となり、次の78年11月のプレ日本選手権からヒールサイドに回り、シン、上田とも共闘していくことになります。
ちなみにこの日(77年8月1日)はヨシ・タツ(山本尚文)が生まれています。ヨシ・タツももう40歳…。
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