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2017年04月16日11:05

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(5)

ヒールレスラーが放送席を襲撃してアナウンサー、解説者に危害を加える、というのも昭和プロレスの定番でした。

74年11月8日、後楽園ホール大会、「アラビアの怪人」ザ・シークが新日本プロレス初参戦、テレビ生中継で事件は起きました。

シークはセミファイナルで日本プロレス時代にUN王座を賭けて死闘を展開した坂口とのシングルマッチ。

後からスポットライトに照らされてゆっくりと口にナイフを加えて入場して来たシーク。放送席に近づいて来たと思いきや、視線は桜井さんへ向けられます。

しかし、本番中、逃げられる訳もありません。シークは桜井さんの胸ぐらを掴むと締めていたネクタイを持っていたナイフでいきなり切り刻んでしまいました。

もうこれだけで後楽園ホールは興奮のルツボと化しました。試合は4分49秒、両者リングアウトとなりましたがシークは「素人にも手を出す狂人」として館内を恐怖のどん底に陥れました。

ローカルテリトリー時代のアメリカのプロレス中継番組ではプロモーター側が番組を制作、アナウンサーやコメンテーターはプロモーターに雇われており、言わば「こちら側の人間」です。

テレビインタビューをやっている内にヒールレスラーがエキサイトしてアナウンサーやコメンテーターに手を出すギミックは特段珍しくはありません。

いわゆる「民放」は米国3大ネットワークと呼ばれるABC、CBS、NBCではマイナーであるプロレスが放送されることはなく、全米ローカル局の枠をプロモーターが買っていたのが普通で、番組は専らビッグマッチの宣伝に使われ、(ビッグマッチをテレビ放送してしまうと会場に客が来なくなる、という発想)テレビマッチ、と言われる試合はプロモーターが売り出したい選手vsジョバー、というのが圧倒的多数を占めていました。

ですから、シークのようなプロモーター兼業トップレスラーが故に日本に長く滞在していない(バーン・ガニア、フリッツ・フォン・エリック、インディアナポリス版WWA設立後のディック・ザ・ブルーザー等も同様)人達が日本の民放とプロレス中継の仕組みを十分に理解していたとは思えない訳です。

桜井さんは後付けで考えてその辺り(シークが襲って来ること)のことはわかっていたと思いますが、加減していてもプロレスラーの力というのは物凄く、当時小学校5年生だった私はテレビで見ていてやはり恐怖を覚えました。

この後シークは11月12日と13日の両日、沖縄・那覇市奥武山(おうのやま)体育館で待望の初対決となる猪木とのシングル戦が組まれました。

12日のテレビ収録では12分58秒、シークの反則に激怒した猪木が報復の反則負け。結果に納得いかない猪木は決着戦を申し入れ、13日(ノーテレビ)ではランバージャックデスマッチで対戦。

猪木の攻撃にシークがセコンドの包囲網をくぐってリング下に逃亡、6分23秒、試合放棄で猪木の勝利も不完全燃焼に終わりました。

シークは14日の後楽園ホールでも坂口と対戦して反則負けになっていますが、シークがホームであるデトロイトを不在にしている時を狙って、キラー・ブルックス、ルイス・マルチネスらシークの子飼いだった選手達が造反して新プロモーションを旗揚げした、という情報がシークの耳に入って来ました。

特にブルックスは10月18日から11月7日迄、従兄弟のディック・マードック、ブラックジャック・マリガンと共に全日本プロレスに来日しており、シークとは完全にスレ違い。事前に準備万端の上カムフラージュ的に日本の他団体に行っていた可能性大で、シークも完全に裏をかかれました。

これを聞いたシークは2週間のブッキングで呼ばれていたところ1週間でキャンセルし、途中帰国。

猪木と新間は激怒し事態は国際裁判に迄発展、シークは新日本からは2度と呼ばれなくなりました。馬場ならまた違う対応をして、ペナルティを与えてから別の機会に呼ぶなどしたかと思いますが猪木、新間コンビは優しくはなく、後の76年のモハメド・アリとの一戦でイスラム教繋がりでシークがアリ側のプロレスのトレーナーに廻る、という話を拒絶。

プロレス側のコーディネーターだったビンス・マクマホン・シニアに一任してフレッド・ブラッシーをアリ側のプロレストレーナーに付けました。

最近、シークがアリvs猪木戦のクローズド・サーキット(リアルタイムで衛星中継により有料でスクリーンによる生中継を見られる、今で言うパブリック・ビューイング)の権利を全米のプロモーターに先駆けて購入した、という話を聞き、シークも新日本とのビジネス再開を目論んでいた節もありましたが、新日本は意に介さず。

3年以上日本から声がかからなかったシークは77年12月、世界オープン・タッグ選手権で全日本プロレスに復帰。

反乱を起こしたブルックスのプロモーションもシークの防戦に遭って敢えなくすぐ崩壊、ブルックスは80年6月28日、日本から馬場、鶴田を呼んで開催したデトロイト版世界タッグワンナイトトーナメントではシークと組んで出場、和解しています。
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