mixiユーザー(id:21258650)

2017年04月13日18:12

1498 view

ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(2)

桜井さんは71年8月にゴング編集長の竹内宏介氏と一緒に2度目の海外マット取材に出かけました。

フロリダで「チェーンデスマッチの鬼」と言われたグレート・ボリス・マレンコとディック・マードックのチェーンデスマッチをリングサイドで取材。(マードックの勝ち)本場の迫力に圧倒されながら試合を楽しみました。

海外マットに精通していたこともあってか、桜井さんの初のテレビ解説はアメリカでの試合を放送していた東京12チャンネル(テレビ東京)の「プロレスアワー」でした。残念ながらそれはリアルタイムでは聞いておりません。

69年7月2日に放送を開始したNET(テレビ朝日)のワールドプロレスリングは日本プロレスの取締役だった遠藤幸吉氏がレギュラー解説をしており、桜井さんは解説に加わっておりません。

桜井さんと猪木とのテレビでの関わりはプロレスアワーつながりで、猪木が新日本プロレスを旗揚げした72年、NETのレギュラー放送が開始される前に10月4日、蔵前国技館と10月10日、大阪府立体育会館で団体初のビッグマッチとなるカール・ゴッチvs猪木の世界ヘビー級選手権試合2番勝負。

この2連戦を東京12チャンネルが単発番組として録画中継しています。

世界ヘビー級選手権はゴッチの「実力世界一」を現す認定団体のないゴッチ個人保有のベルトで、消滅したオハイオ版AWA世界ヘビー級王座のベルトが使われていたという説が濃厚でした。

桜井さんは「名調子杉浦節」と言われた同局屈指のスポーツ中継の名アナウンサー、杉浦滋男氏とのコンビでこの2連戦の解説をしています。

10月4日、蔵前での初戦は27分19秒、リングアウト勝ちで猪木が王座獲得に成功しました。

桜井さん「際どい攻防でしたね、猪木が(場外カウント)20、ゴッチが21で上がったんですねぇ!」

さすがにカウント21はあり得ないですがそこを言い切ってしまうところが桜井さんらしかったです。

猪木は10月9日、広島県立体育館でレッド・ピンパネール(アベ・ヤコブ)を破り初防衛に成功しましたが、10月10日、大阪でゴッチと再戦。

キーロックをかけたままゴッチにエビ固めで丸め込まれ23分12秒、フォール負けで王座から陥落してしまいました。

この2試合の映像はテレビ東京のライブラリーには残されておらず、実況音源が桜井さんが監修を務めた76年にCBSソニーから発売されたLPレコード「燃える闘魂」に蔵前大会の模様が僅かに入っております。このLPレコードについては後述致します。

猪木の新日本プロレスはテレビ放送がつかず厳しい闘いを強いられていましたが、坂口征二が加入し73年4月6日、宇都宮スポーツセンターからNETの放送が始まりました。

桜井さんはここでワールドプロレスリングの解説者として実況席に座ることになった訳です。

ワールドプロレスリングは当初、日本プロレス時代から吉岡晋也と舟橋慶一の2人がメイン実況を務めていましたが、どちらかと言うとスローな口調の吉岡アナウンサーに比べ、早いテンポでエキサイティングな実況をする舟橋アナウンサーが主にメイン実況となりました。

脇を固めていたのが山崎正、銅谷志朗、三浦智和といった面々で解説は桜井さんの他に日刊スポーツ新聞社記者で桜井さんより6歳年長になる鈴木庄一氏がおり、さらに73年4月20日、群馬県吉井町体育館の興行を最後に崩壊した日本プロレスの元取締役遠藤幸吉が、ロサンゼルスのプロモーター、マイク・ラーベルと新日本プロレスを繋ぐことの見返りとして解説者に復帰、桜井、遠藤コンビを中心に2人体制で交互に放送席に座ることになりました。
9 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年04月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30