83年9月8日、千葉公園体育館大会のその他の試合の模様です。
鶴田はセミファイナルでバズ・タイラーとシングルで対戦。タイラーの反則をものともせず、ジャンピング・ニーパットからフライング・ボディシザースドロップを決めフォール勝ち。インターナショナル・ヘビー級王者として有終の美の飾りました。
天龍、阿修羅・原組vsブラッド・レイガンス、マニー・ヘルナンデス組は原がセカンドロープからダイブしてのフライング・ボディアタックでヘルナンデスをフォール。
試合後、3月1日、秋田市立体育館で行われた天龍と上田馬之助のランバージャック・デスマッチに介入し、上田に凶器のスパナを渡して試合をぶち壊したことを理由に、
PWF本部から6か月の出場停止処分を受けた鶴見五郎が処分が解けた(おそらく、グランド・チャンピオン・カーニバルから大物外国人選手を質量共に多数呼ばなければならなかった事情で遠征に出されていたものと思料)ため、突如姿を現し、因縁の天龍と原をジェリー・モローと共に襲撃。
元国際プロレス同士の流れから鶴見とモローが共闘しアジア・タッグ王座に照準を定めるかと思われましたが、その後鶴見とモローは組むことはありませんでした。
鶴見は9月30日、後楽園ホールで開幕する次期ジャイアント・シリーズから戦列復帰しています。2シリーズ連続で全日本に参戦のモローは新日本のバッドニュース・アレンみたいに常連として参戦してくるかと思われましたが、次の来日は84年2月のエキサイト・シリーズまでなく、この時は同じ黒人で初来日だったトーマス・アイビー(かなりしょっぱかった)をサポートしました。その後、元国際プロレス代表の吉原功が新日本の顧問に就任した為、84年8月からは主戦場を新日本に鞍替えしています。
さて、このシリーズ、どうしても最後に触れておきたかったのが、鶴田幻の必殺技(?)となったレッグ・ラリアットです。
これは覚えておられる方がどのくらいいるかは不明ですが、鶴田がスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットに対抗すべく編み出した必殺技でした。
レッグ・ラリアットと言えばこの翌年の84年に新日本プロレスの木村健吾(健悟)がロープに飛ばした相手に向かって横飛びにジャンプ、相手の胸のあたりに足を正面から当てていくオリジナルの大技として「稲妻レッグ・ラリアート」がよく知られており、(新日本プロレスはラリアートと呼称することが多かった)技が少なかった木村健のオリジナル技として注目を浴びました。
腕よりも太い足でラリアットをやれば、腕でやるラリアットより破壊力が大きい、という理に叶っているようないないような技ですが…。
そもそも、木村健の稲妻レッグラリアートは83年4月にヨーロッパ遠征から凱旋帰国した前田明(日明)のフライング・ニールキックの応用型と言っていいかと思います。フライング・ニールキックもレッグ・ラリアートとも呼ばれていました。
さて、鶴田のレッグ・ラリアットは開幕戦の8月19日、越谷市体育館でのマニー・ヘルナンデス戦のフィニッシュとなるフライング・ボディシザースドロップにいく前に初めて使われました。
ジャンピング・ニーパットの要領で膝ではなく、お尻に近い太股の裏側を相手に当てている感じです。
8月22日、高崎市中央体育館でのバズ・タイラー戦でもレッグ・ラリアットからドロップキックを決めてフォール勝ち。
8月26日、後楽園ホールでの鶴田、天龍組vsハンセン、テリー・ゴディ組の一戦でもテリー・ゴディに決めているのを確認出来ます。
しかし、長身で跳躍力がある鶴田は打点が高い為、ジャンピング・ニーパットを決めた際、相手の身長が低かったりすると鶴田のお尻が相手の顔面に命中することも珍しくなかったです。よって、ジャンピング・ニーパットの勢い余ったやつとほとんど見分けがつかないのが事実で、このシリーズ限りで使うのをやめてしまいました。
改良を加えてジャンピング・ニーパットとの差別化を図っていけば、一撃必殺の大技にまで昇華出来た可能性が強い技だけにもったいなく感じましたが、そう言った努力や特訓を決してしようとしなかったのは鶴田が怪物と呼ばれる所以かと思います。
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