83年7月19日、大阪府立体育会館(観衆9000人超満員発表、テレビ収録)はテリー最後の大阪(引退試合の行われる次期スーパー・パワー・シリーズは大阪の開催なし)とあって全日本としては集客の厳しかった府立で旗揚げ以来過去最高の観客動員を発表しています。
全日本のこれまでの府立での最多観客記録は77年10月5日、馬場vs大木金太郎のPWF、アジア両ヘビー級ダブルタイトルマッチと、同年12月14日、世界オープン・タッグ選手権、馬場、鶴田組vsザ・ファンクス、ビル・ロビンソン、ホースト・ホフマン組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組、大木、キム・ドク組vsラッシャー木村、グレート草津組の7500人(いずれも超満員)。
府立は新日本プロレスの興行人気が高く、大阪の観客はタイトルマッチより遺恨試合や喧嘩マッチを好み、猪木vsタイガー・ジェット・シンのNWF世界ヘビー級選手権試合(74年6月26日)で猪木がシンの左腕を折った(とされる)試合は前週の6月20日、蔵前国技館での同一カードでのシンの2本目の火炎攻撃で猪木が左眼を負傷した試合がテレビ中継された効果が大きく8900人を動員。
また、事実上の旧府立のレコードと言われている78年9月19日の仲間割れしたシンと上田馬之助の一騎討ちは9500人発表で立錘の余地もないほどの観客が詰めかけ、「入りきらない客が3000人位いた」(新間寿談)の真偽はともかく、それだけ入ったと言うことでした。
恐らく、全日本の府立で大阪の客の好みに合い、一番観客が入ったのは77年10月の馬場vs大木戦かと思われます。
メインイベントはテリー・ファンクとシンのシングル戦。正直、テリーとシンは因縁らしい因縁はなく、ストーリー性にも欠けています。テリーの大阪ラストマッチの相手が本当にシンでいいのかなぁ、と思いつつ…。同時期にかつての宿敵ブッチャーは新日本プロレスのサマー・ファイト・シリーズに参戦。
維新軍との抗争で盛り上がる新日本ではブッチャーがマッチメークの主軸になることなく、黒人差別主義者として知られ、ブッチャーとの犬猿の仲を熟知していた馬場が全日本時代はシングルマッチを組むことをしなかったディック・マードックと遺恨なきシングル対決。(83年7月7日、大阪府立体育会館、7月14日、札幌中島体育センター)
精彩を欠いていたブッチャーだけにこの時限定でブッチャーとシンを入れ換えてくれればいいのに、と節に思いました。
試合は60分1本勝負。シンは得意のチョーク攻撃、バンテージを使った首絞めでテリーのスタミナを奪っていきます。左のパンチで反撃に出たテリーがロープに飛んでカウンターのキック。
シンは間一髪これをかわしてテリーは勢い余ってロープに逆さに宙吊り状態に。場外に降りたシンは椅子を持って逆さ吊りのテリーのウィークポイントである膝を滅多打ち。
エキサイトしたシンはビール瓶でテリーの足を攻撃、制止に入ったジョー樋口レフェリーにもシンは一撃。10分15秒、テリーの反則勝ちとなりました。
最後のテリーとシンのシングルマッチは内容的には凡戦で不完全燃焼に終わっています。
ダブルメインイベント第1試合は馬場と上田のシングルマッチ60分1本勝負。3月3日、後楽園ホールでは馬場が上田にジャンピング・アームブリーカーを連発し上田が左肩を脱臼、レフェリーストップで馬場が勝利を納めており、それ以来のシングルマッチでした。
むしろ、大阪のファンにとっては馬場と上田の再戦の方が受けたかと思われます。
馬場は前回の対戦同様、ジャンピング・アームブリーカーで上田を追い込んでいきましたが上田は巧みに場外へエスケープ。
この後上田を追って場外に降りた馬場は上田を深追いし9分55秒、両者リングアウトの引き分け、
セミファイナルは4人共に国際プロレス出身者によるアジア・タッグ選手権試合。阿修羅・原、マイティ井上組にジプシー・ジョー、ジェリー・モロー組が挑戦。
国際ファンが狂喜したこの組合わせは井上が18分20秒、モローを原爆固めで降し5度目の防衛を果たしました。
鶴田は天龍とのコンビでアレックス・スミルノフ、ジェリー・オーツ組と対戦。鶴田が見事なバックドロップからの体固めでオーツからフォールを奪っています。
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