73年6月30日、行田市民体育館で行われたサマー・アクション(正式にはシリーズとはついていない)開幕戦から日本プロレスの残党が全日本プロレスに合流。
高千穂明久はブラックジャック・スレードを回転エビ固めで破っています。
しかし、全日本プロレスでの扱いの差はプロパーの選手とは歴然とした差がありました。
大木金太郎は「対等合併だと聞かされていた」と不満を爆発させました。
これに対し馬場は「潰れた会社の人間が何を言っている?対等な訳がないだろう」と反論。早くもリング外ではギクシャクし始めました。
元日本プロレスのコミッショナー事務局長をしていた門茂男が中心になって運営されていたジャパン・プロレスリングユニオンが力道山のプロレスの師匠にあたる沖識名レフェリーの引退興行を行うべく画策していました。
10月9日、蔵前国技館をユニオンが借りましたが結局参加レスラーが集められず日本プロレスの残党が参戦していた全日本が沖識名引退興行を開催することになりました。
この時、馬場は蔵前大会開催を譲り受けるに際しユニオンよりドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組のザ・ファンクスが保持していたインターナショナル・タッグ王座に馬場のパートナーとして、日本プロレスから代表選手が組んで挑戦することを条件とされ、これを応諾しています。
全日本プロレスは日大講堂を東京のメイン会場にしていましたが、蔵前国技館での開催はこれが初めて。
ユニオンが興行主催出来なかった背景には役員である門茂男と東スポ社長の井上博の確執がありました。
門は元は東スポの記者で井上と同じ釜の飯を食った間柄でしたが上司と反りが合わず喧嘩をして半ばクビのような形で退職。
井上が東スポの社長になったのはその後ですが、経営が傾き右翼の大物児玉誉志夫に会社を身売りしていました。
児玉は力道山、日本プロレスリングコミッショナーを務めていた大野伴睦衆議院議員とも交流があり、後にロッキード事件で田中角栄元総理大臣と共に起訴された人物として有名でした。
現在の太刀川恒夫オーナーは児玉の秘書だった人物であり、要するに東スポが芸能関係で無秩序なフライング記事を書いたとしても訴訟問題にもならず許されてしまうのは会社の背景を関係者が皆知っているからです。
さて、前年72年に日本プロレスから猪木、馬場が事情は異なるものの相次いで独立、日本、国際、新日本、全日本の男子4団体時代となった時に観客が減少して冬の時代が来たのは以前書いた通りですが、
プロレスと共に歩んで来た東スポはバックに児玉オーナーがついたことで経営も安定し井上社長の方針で「プロレス復興の為」プロレス興行の共催、後援に乗りだしました。
東スポは全日本の蔵前大会の5日後に開催される新日本プロレスのビッグマッチ猪木、坂口組vs ルー・テーズ、カール・ゴッチ組の「世界最強タッグ戦」の主催、後援者に名を連ねていました。
馬場はそれが悔しく、日本テレビの解説をしていた山田隆運動部長に「うちの興行にも力を貸してもらえないかなぁ」と依頼。
山田が井上社長の了解を取り付け、初の蔵前大会に東スポが後援する約束を取り付けました。
門が役員を務めるユニオンは所属選手はいなく、日本プロレス界に多大なる貢献をした大恩人である沖識名の引退興行をするには全日本、新日本から選手を借りなければ成らず、日本プロレス所属選手を引き受けた全日本が協力するのが筋、と考えていましたが、
門と井上社長の関係の悪さから東スポの後援を取り付けたかった馬場は門には協力出来ないとユニオン主催で沖識名の引退興行に出場することを拒否しました。
ユニオンは元々その名前の通りプロモーター組合であり団体ではないので所属選手もおらず、「ハワイに帰る沖さんの最後の餞(はなむけ)として盛大に引退興行をやってくれるなら」と全日本プロレスに沖識名引退興行の主催を譲りました。
元日本プロレス所属選手で全日本に移籍した上田馬之助、グレート小鹿達は沖識名に報いる為に懸命に手売りで「東京の大会場を満員に出来ない」全日本プロレス初の蔵前大会のチケットを売り捌きました。蔵前大会は11000人発表で満員マークがつき、馬場は恥をかかずに済んだのでした。
しかし、馬場はユニオンとの約束を反古にし、ファンクスとのインターナショナル・タッグ王座挑戦のパートナーを日本プロレスの残党からではなく、テキサス州アマリロで修行し凱旋帰国を果たす鶴田友美を抜擢しました。
この試合は鶴田の出世試合として有名であり、この抜擢は馬場の慧眼であったことは歴史が証明しています。
高千穂は創立1周年記念ジャイアント・シリーズ開幕戦の10月6日、後楽園ホールで全日本初参戦となったミル・マスカラスに敗れた後、この年の3月に来たマーク・ルーインに馬場が頼まれてサムソン・クツワダと共にオーストラリアに遠征に出た為蔵前には出ていません。
この日鶴田はムース・モロウスキーを相手に日本デビュー戦を勝利で飾りスターへの道を登り初めました。
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