76年に入ると格闘技世界一決定戦路線がスタート。1月7日、東京・日比谷の帝国ホテルで記者会見が行われ、柔道のミュンヘン五輪重量級、無差別級金メダリスト、ウィリエム・ルスカがプロ格闘家に転向して猪木に挑戦を表明。
2月6日、新日本プロレス初進出となる日本武道館で猪木vsルスカの異種格闘技戦が行われ20分35秒、バックドロップ3連発で猪木のTKO勝ち。
前年から追いかけていたプロボクシングWBA、WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリがついに猪木との対戦を応諾。6月26日、日本武道館で世紀の一戦が実現しましたが、カール・ゴッチは猪木のセコンドに付き厳しいアドバイスを出しています。
様々なリング内外の双方の駆け引きはありましたが、ゴッチとしては裏事情はともかく、猪木がアリを倒したチャンスがありましたから、反則負け覚悟で捕まえにいって欲しかっただろうなぁ、と想像がつきます。
猪木に2月に敗れたルスカはプロレスラーとしてロサンゼルスのマイク・ラーベルの元へ新日から預けられた形で渡米し修行しました。
5月21日、オリンピック・オーデトリアムでデニス・スタンプを裸絞めで絞め落としたのを皮切りにジョバー相手に連戦連勝。しかし、対戦したレスラーからはルスカがシュートマッチばかりやりたがる、2度とやりたくない、というクレームがラーベルに殺到。
アリvs猪木戦の行われた6月26日(米国時間25日)にはこれにあやかってNWA、AWA、WWWFの米メジャー団体がアリvs猪木戦のクローズド・サーキット中継に合わせてビッグマッチを開催しています。
NWAはテキサス州ヒューストン・コロシアムでテリー・ファンクvsロッキー・ジョンソンのNWA世界ヘビー級選手権試合。
AWAはイリノイ州シカゴのインターナショナル・アンフィシアターでニック・ボックウィンクルvsバーン・ガニアのAWA世界ヘビー級選手権試合。
新日本と親密な関係にあったWWWFはニューヨーク・センチュリー・スタジアムでのビッグマッチ。スタン・ハンセンに首の骨を折られて入院していたブルーノ・サンマルチノをビンス・シニアが無理矢理説得して復帰させサンマルチノとハンセンのWWWFヘビー級選手権試合とアンドレ・ザ・ジャイアントvsヘビー級プロボクサーで元世界ランカーのチャック・ウェップナーのミックスドマッチ。
親猪木派のラーベルも金曜日だった為オリンピック・オーデトリアムでの定期戦がありルスカの試合を組みました。
当初はジ・アラスカン(73年4月に日本プロレス最後のシリーズに来たジェイ・ヨーク)が予定されていましたがアラスカンが対戦を拒否。
ルスカの相手を買って出たのは前座ながら腕っぷしと喧嘩の強さには定評のあったドン・ファーゴ。ファーゴはディック・ザ・ブルーザーとウィルバー・スナイダーが主宰していたインディアナポリス版のWWAでレネ・グレイ(レーン・ゴルト表記)と組んでザ・レジオナリーズというタッグチームで活躍していた選手で未来日のまま終わりました。
柔道野郎、何するものぞとルスカに果敢に挑んだファーゴでしたが10分24秒、裸絞めの前に敗戦。
NETではこの日昼間13時から14時15分位迄アリvs猪木戦をディレイ中継、19時30分からのゴールデン枠ではアリvs猪木戦を再放送した他、ニューヨークのアンドレvsウェップナー、ロスのルスカvsファーゴの試合を放送しました。
アンドレとウェップナーの試合は肩の凝らないエンターテインメントとして大変面白い試合だったと思います。
ファーゴ戦を最後にラーベルからは「もう要らない」とばかりに切られてしまったルスカは8月の新日本プロレスのブラジル遠征シリーズ第2弾に参加。
8月7日、リオデジャネイロのマラカナン・スポーツアリーナで前年迄新日本に留学していたイワン・ゴメスと対戦、当て身をゴメスの顔面に連発して流血に追い込むという壮絶な喧嘩マッチを行い(9分3秒、ルスカのリングアウト勝ち)、リオデジャネイロの体育協会はルスカを出場停止処分にしました。
ブラジル遠征シリーズはブラジリア、サンパウロと3大会行われましたがルスカは残りの大会には出場出来ず。
12月9日、蔵前国技館ではルスカと猪木の再戦が行われることが発表されましたが、ゴッチは何と、ルスカの側に付き、ルスカにプロレスのコーチとして猪木の弱点を教える、という役回りでした。
実際は新日本がルスカがプロレスラーとしてもう少しましな試合が出来るようにゴッチに指導を依頼したというところかと思います。
11月19日、寝屋川市民体育館での猪木とパット・パターソンとの試合をリングサイドからゴッチとルスカが一緒に観戦しており、ゴッチのアドバイスにルスカがなにやら耳を傾けていました。
ルスカは11月25日鹿児島県立体育館から新日本の試合に出場し連日若手、中堅を裸絞めで絞め落としました。
蔵前での猪木とルスカの再戦にゴッチは前年のロビンソン戦に続き「勝者に実力世界一のベルトを贈呈する」と発言。ロビンソンなら納得だがルスカ戦にはやめてもらいたかったです。
蔵前での猪木とルスカの再戦はゴング前にルスカが猪木に握手を求め、応じた猪木に腕ひしぎ逆十字固めを決めて試合開始が一時中断された、という見せ場はあったものの、この時のルスカは上半身裸に赤のタイツ、シューズという完全なプロレススタイル。
これでは猪木の敵ではなく猪木がナックルの連発でルスカを戦意喪失させての21分27秒、レフェリーストップ勝ち。ゴッチのベルトは猪木に寄贈されてしまいました。
ちなみにこの年のカール・ゴッチ杯は12月7日、岡山武道館で優勝決定戦が行われ34歳のベテラン魁勝司が木村たかし(健吾)を破り優勝。若手の登竜門の役割を果たせず、猪木が「魁が勝つようではダメだ!」と激怒してこの年限りで打ちきりとなり、約8年半の歳月を経て85年3月ヤングライオン杯にリニューアルされました。
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