84年サマー・ファイト・シリーズが終わると猪木以下新日本プロレス勢はパキスタン遠征を行いました。
猪木のパキスタン遠征はこれが3度目。初回は76年12月、地元最強と言われたボル・ブラザーズ(ボロという表記もあり)のアクラム・ペールワンと12月12日、カラチ・ナショナルスタジアムで対戦。
試合中にアクラムが噛みついて来たことから猪木が目を突いて(とされる)戦意喪失させアームロックで肩の関節を脱臼させる勝利。
この遠征には永源遥、小沢正志(キラー・カーン)、藤原喜明らが帯同しました。
2度目は79年の6月でこの時は単独での遠征。6月17日ラホール・ガタフィスタジアムでアクラムの甥っ子であるジュベール(ジャラ)・ペールワンと対戦し10分5ラウンド時間切れ引き分け。
翌18日にはカラチ・ホッケースタジアムでタイガー・ジェット・シンと両者KOの引き分けとなっています。
アクラム戦とジュベール戦の試合はリアルファイトの色合いが強かったせいか、後付けで異種格闘技戦にカテゴライズされてしまいましたが私はプロレスの試合だったと思います。
今回のパキスタン遠征は前2回とは大きく趣旨が異なり、新日本のレギュラーメンバーだった外国人選手も参加し日本と同じスタイルのパッケージとしてのプロレスを見せるものでした。
82年4月のドバイ遠征、この年2月のフィリピン遠征と興行形式は同じで、事件や事故は起きようがありません。
ビリー・クラッシャー、辺境の地には欠かせないバッドニュース・アレン、カネック、次期ブラディ・ファイト・シリーズに参戦が決定しているロジャー・スミスの外国人選手4人が参加。
クラッシャーはマスクド・スーパースターの素顔でのリングネームですが、81年8月6日、蔵前国技館での猪木とスーパースターの賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチで猪木に敗れたスーパースターが10月の闘魂シリーズに素顔のクラッシャーとして来日しています。
しかし、スーパースターは猪木の原爆固めに敗れた時、マスクは脱いだものの、セコンドに付いていたスタンリー・レーン、フランク・サベージらにタオルで顔を覆われて退場。素顔は晒してません。
クラッシャーとして来日した時もファンは皆知っていましたが新日本プロレスから「スーパースターの正体」とリリースされてはいませんでした。
ほとぼりが覚めた頃の82年3月、第5回MSGシリーズに再びマスクを着用して何事もなかったかのようにスーパースターは元通りの姿で試合をしています。
アレン、カネックはサマー・ファイト・シリーズからの継続参戦。ロジャー・スミスについては次期ブラディ・ファイト・シリーズの外国人メンバー紹介の際にプロフィールに触れたいと思います。
第1戦は8月6日、ペシャワール市のペシャワール・スタジアムに40000人(満員)の観客を集めて行われました。この日のみテレビ朝日が収録しています。
メインイベントは猪木がクラッシャーとシングルで対戦し9分17秒、延髄斬りからの体固めで勝利。
藤波はスミスを逆エビ固めで破り、長州はカネックをリキラリアットから体固め。
アニマル浜口はアレンに負け、木村健吾は谷津嘉章に首固めでフォール負けを喫しました。
木戸修は小林邦昭を体固め。星野勘太郎は保永昇男を片エビ固めに決めています。
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