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2016年09月26日22:30

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猪木とビンス(367)

84年7月24日、後楽園ホールでUWF無限大記念日2日目が開催され初日に続いて3000人(超満員)の観客を動員しました。

初日とはカード編成を変えて日本人vs外国人の対戦を中心に持って来ました。

第1試合は山崎一夫がエル・ファンタスマと対戦、前夜に続きシューティングスタイルでファンタスマを圧倒。フロント、ダブルアームの2種類のスープレックスの連発から片エビ固め。

第2試合はアンヘル・ブランコ・ジュニアとガジョ・タパドのルチャドール同士の一戦でブランコが体固めで勝利。

第3試合にはラッシャー木村、剛竜馬の元国際勢が登場、ザ・UFO、MS1組と対戦。こちらは日本側が安定した試合ぶりを見せ、R木村のラッシング・ラリアットから剛が久々のジャーマン・スープレックスホールドをMS1に決めての勝利。

この日はタッグマッチがもう一つ。セミファイナルは藤原喜明、高田伸彦組vsレオ・バーク、ロッキー・ダラセーラ組。

高田がローリング・ソバットで倒したダラセーラに組み付いて腕をロックした状態で頭部を両脚で挟み込んでねじ曲げる複合技。

15分15秒、クルック・ヘッドシザースで高田がダラセーラにギブアップ勝ち。(当時はクロック・ヘッドシザースと呼ばれた)

ダブル・メインイベント第1試合はザ・タイガーとマッハ隼人のシングル戦。

両者の対戦は81年10月8日、新日本プロレスの蔵前国技館で新日本と国際プロレスの全面対抗戦で行われることが発表されましたが、マッハが対戦を嫌ってキャンセルとなっています。

この試合、一部では新日本が敗者覆面剥ぎマッチにするのでは?という噂がまことしやかに流され、ベースがルチャで対応力に欠けるマッハに佐山が試合中にシュートを仕掛けて来て負けた上にマスクを剥がされて素顔を晒されるかも知れないと新日本のフロントに不信感を持ったマッハが対戦を拒否した、という話を聞いたことがあります。

それから約3年、紆余曲折を経て第3団体UWFのリングで初の一騎討ち。試合はタイガーがマッハのルチャ殺法を引き出した上で、9分17秒、タイガー・スープレックスホールドで完勝しています。

ダブル・メインイベント第2試合は前田日明vsフレンチ・マーテル。

Fマーテルは時のAWA世界ヘビー級王者リック・マーテルの実兄マイク・マーテルとのザ・コンバット・フレンチブラザーズとして75年に国際プロレスにピエール・マーチンのリングネームで初来日。

11月3日、後楽園ホールではグレート草津、マイティ井上組を降しIWA世界タッグ王座を奪取(11月21日、水沢市体育館で草津、井上組のリターンマッチを退けるも12月2日、横浜文化体育館での金網デスマッチで草津、井上組に敗れ王座転落)

12月4日、後楽園ホールでR木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦しましたが、こちらは反則負け含みで2-0のストレート負けを喫しています。

翌76年10月にもフレンチ・マーチンの名前でザ・コンバットとしてマイク・マーテルと再来日。この時、マイクの弟であるリックも初来日しています。

マイクは78年6月30日、遠征先のプエルトリコで心臓発作の為35歳で急死。その後はシングルプレイヤーとなり、79年4月と81年1月にはマッドドッグ・マーチンのリングネームで全日本に参戦しています。

マーチンとマーテルを使い分けていたようですが、かつての亡きパートナーの弟リックが鶴田を破ってAWA世界ヘビー級王座を獲得した時は自分のことのように喜び、祝福したそうです。

中堅外国人ではありますが侮れない実力者のFマーテルを相手に前田はフライング・ニールキックをぶちこみ、ダウンさせたところを首4の字固めに移行したと思いきや、そのまま腕を固めた状態での三角絞め。8分53秒、Fマーテルはギブアップし前田が完勝。

前田vsFマーテルと藤原、高田組vsバーク、ダラセーラ組はいずれもサブミッションで決着がつきましたが32年前の日本プロレス界ではサブミッションによるフィニッシュは観客に認知されておらず、反応は今一つでした。

しかし、これがUWFの戦い方でした。この後に予定されている第2弾シリーズ、ビクトリー・ウィークス(8月29日高崎市体育館で開幕)でその方向性はかなりはっきりしたものになってきます。
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