猪木の突然の馬場訪問に関しては様々な憶測が飛び交いました。勿論、両巨頭の口から会談の内容が明かされることはありません。
当時はUWFの出土も明らかにされていませんでしたので、最も有力な説とされたのがUWFの旗揚げに際して全日本と新日本が手を組んで団体の発展を阻止する話を猪木が持ちかけたというものです。
おそらく、猪木は「UWFは直ぐに終息させて新日本に戻すので、選手を引き抜かないで欲しい。」 という申し入れをしたかと思います。
旗揚げオープニング・シリーズに馬場が新間に協力したことは猪木も知っており、テレビ放送がつかないUWFは早晩立ちいかなくなる。そうなった時に選手が新間ルートで全日本へ行かれたり、提携されたりしては困る、という意図があったかと考えます。
全日本の岡山武道館大会を訪問した翌日の84年4月5日、川崎市体育館で猪木は2週間ぶりの復帰戦を行いました。
この日はノーテレビ。セミファイナル45分1本勝負で維新軍の斬り込み隊長、アニマル浜口とシングルマッチを行い、僅か1分23秒、延髄斬りからの体固めで勝利。
スタミナに不安があったか、早い時間で試合を終わらせた感はありましたがまずまずの仕上がり。
試合後、猪木は「40歳(実際は当時41歳)の抵抗ですよ。」とまだ闘魂は燃え尽きていないことをアピールしています。
この日のメインは坂口、藤波、木村健吾組vsマスクド・スーパースター、ドン・ムラコ、アイアン・マイク・シャープ組の6人タッグマッチで藤波がシャープを体固め。
4月6日、宮城・泉市民総合体育館のテレビ生中継で猪木は藤波と組んでメインに出場、ムハマド・カリム、エリージャー・アキムのザンビア・エキスプレスと対戦。
前日に増して調子を上げていた猪木は巨体のカリムを珍しい逆エビ固めでギブアップさせて快勝、闘魂復活を感じさせました。
シリーズ最終戦の4月19日、蔵前国技館で柔道形式の5対5勝ち抜き戦での全面対決が決定している正規軍と維新軍はこの日も前哨戦で激突。
セミファイナルでは坂口、木村健組と長州、谷津嘉章組が対戦、坂口が長州を場外フェンス越しに投げて反則負け。
藤原喜明と浜口の遺恨対決は維新軍の乱入で藤原の反則勝ち。
4月8日、ロサンゼルスから高田伸彦が帰国、高田は「前田さんと男の約束を果たす為」と11日、大宮スケートセンターで開幕するUWFオープニング・シリーズへの全戦参加を表明しています。
高田は自分が行くことをしなかった猪木の密命を受けて、新日本プロレス「了承」の元、UWFの興行を助ける為にUWFへ参戦することになったかと思われます。
高田と新日本プロレスの間にこの時はキナ臭い雰囲気はなく、UWFの旗揚げ戦の前日、4月10日、千葉・佐原市民体育館の大会に普通に試合に出ています。
フジテレビの放送がつかなくなったことで猪木はUWFを早い段階で終息させよう、という考えになっていたのではないかと。新間にそのように指示を下しているかと思われます。
一方で6月17日、後楽園ホールからオープニング・シリーズ第2弾が行われる予定も発表され、参加外国人にはトミー・リッチ、ジャイアント・キマラらの名前がリストアップされておりました。
このメンバーも裏に馬場、テリー・ファンクの存在が見え隠れしています。
このシリーズから留学生として日本プロレスのブッカーをしていた元日系レスラー、デューク・ケオムカの息子であるパトリック・タナカがデビューし前座戦線も賑わいを見せています。
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