84年3月30日、後楽園ホールで行われたビッグ・ファイト・シリーズ第2弾開幕戦は様々な出来事がありました。
前シリーズ最終戦3月22日、尼崎市記念公園体育館で維新軍の襲撃に遭い肘を負傷した猪木は欠場。
試合前に前シリーズを無断欠場、第3団体UWFへの移籍が確実視されたラッシャー木村と剛竜馬が会場に姿を現し、日本側控室へと入っていきました。
R木村は「猪木に言いたい事があって来た。来たのは自分の意思」とコメントしています。
しかしR木村と剛はものの2、3分で控室から出て行きました。ありがちな乱闘騒ぎはありません。
R木村は自分の意思で離脱した新日本の会場に現れたかと言えばやはりNOであり、新間が指示を出したからかと思います。
R木村「猪木さん、UWFに来るという話はどうなったんですか、今日は答えを聞きに来ました。」
猪木「知らない、何のことだ。」
おそらくこのような会話が為されたかと推測出来ます。
別冊エキサイティングプロレス84年5月号にR木村の独占インタビュー記事が掲載されていて非常に興味深い内容ですので一部抜粋してみたいと思います。
エキプロ編集部は代々木上原にあったR木村の自宅を訪ねて取材をしています。
EP「殴り込みと言えば、新日プロの3月30日後楽園ホール大会に剛選手と2人で乗り込んで来られましたね。あれはどういうことだったんですか」
R木村「ちょっと猪木に言っておきたいことがありましてね。控室に入って行ったら、一瞬、みんなぎょっと身構えていましたよ。かかってきたらやってやろうかと思っていたんですが、誰もかかってはこなかった。」
EP「何を猪木に言いたかったんですか。」
R木村「それはちょっと話す訳にはいかないんですがね。」
EP「新日プロ退団の挨拶という訳でもないんでしょう?」
R木村「もう俺と剛がUWFに行くことはわかっていたようですからね。別に挨拶ってことじゃなかったんです。俺たちが控室に入っていくなんて先方は夢にも思っていなかったんでしょうね。猪木も坂口も藤波も一瞬ビクッとして焦ってましたよ。何と言うか、人間が"アッ"と驚いた時の表情は凄いもんですね。面白くもあったけど(笑)」
(中略)
EP「で、猪木とは話が出来たのですか?」
R木村「いや、話にも何もならなかったから2〜3分で出てきてしまったんです。」
(中略)
EP「その後楽園ホール乗り込みはUWFの指令によるものですか?」
R木村「いや、全く俺個人の意思によるものです。喧嘩になるおそれも十分にあったから、行くと言ったら止められたかも知れませんね。だから黙って行ったんです。」
EP「喧嘩になるのは覚悟の上だったんですね。」
R木村「いや、やはり喧嘩はあんなところでしない方がいい。やっても俺たちは正当防衛程度に止めておくつもりだった。新日プロにはずいぶんと世話になりましたからね。」
4月1日にはUWFが旗揚げシリーズに関する記者会見を京王プラザホテルで行うことが発表されており、マスコミにも異例の文書による「招待状」が発送されていました。
おそらく、R木村は会見のリミットを見越して猪木に約束を履行する気があるかどうか、見極める為にやって来たと思われます。
テレビ生中継が始まると同時に日本側選手による入場セレモニーが行われました。
欠場の猪木は茶色のスーツを着てのリング登場。サインボールの投げ入れが行われています。
セレモニーの後、マイクを持った藤原喜明がUWFに行った前田日明に対し、「裏切り者の前田に制裁を加える。個人でぶっ潰してやる!」とテロリストによる襲撃予告。
これに対し猪木は控室でのインタビューに応じ「藤原が、前田のとった行動は許せないので、個人として勝負したいと言って来た。藤原の気性はわかっており、止められるものでもないので、会社として容認は出来ないが個人として行くなら許可しました。」
とコメントしています。実際に後ろめたいのは猪木の方であり、藤原のUWF行きも新日本が容認していたことは間違いないと思われます。
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