84年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾は3月30日、後楽園ホールで開幕。
マスクド・スーパースター、ドン・ムラコ、アイアン・マイク・シャープ、ムハマド・カリム&エリージャー・アキムのザンビア・エキスプレス、ヘラクレス・アヤラ、ブルース・ハートの外国人レスラーがシリーズ全戦参加。
スーパースターは前年1月の新春黄金シリーズ以来1年2か月ぶりの来日、この時期スーパースターがこれだけ来日間隔が空くのは珍しいですがWWFのレギュラーとなっており、2月10日のWWF初のセントルイス侵攻ではWWF世界ヘビー級王者ハルク・ホーガンの対戦相手を務めており、多忙だったことによるものでした。
ムラコは82年3月の第5回MSGシリーズ以来2年ぶりの来日。
来日直前の2月11日、マサチューセッツ州ボストン・ガーデンでティト・サンタナに敗れるまでWWFインターコンチネンタル王座を1年以上に亘って保持、ジミー・スヌーカとの抗争は黄金カードになっていました。
シャープは1月の新春黄金シリーズ以来約2か月ぶりの来日、前回はホーガンのパートナーということでメインイベントに登場する機会も多かったですが、ホーガン不在でその真価が問われる参戦となりました。
新日本にしては珍しいタイプとなる黒人の巨漢タッグチーム、ザンビア・エキスプレスは日本でもお馴染みのレイ・キャンディ(カリム)、レロイ・ブラウン(アキム)の変身で、迷彩柄のアーミースタイルのコスチュームで登場しています。
カリムは新日本初登場、キャンディとして79年10月全日本プロレスに初来日、アブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーに抜擢されて10月12日、旭川市体育館で馬場、鶴田組からインターナショナル・タッグ王座を奪取。
80年に2度全日本に来た後、81年2月には国際プロレスに転じ、3月24日、泉市民総合体育館でラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦しています。
アキムことブラウンは79年6月のサマー・ファイト・シリーズにエース格として初来日、それ以来4年9か月ぶりの来日となりました。
前回の来日では7月17日、釧路市厚生年金体育館で坂口のNWA北米ヘビー級王座に挑戦、マサ齋藤が乱入しての反則負け。
猪木とはテレビ中継で7月6日の四日市市体育館(反則負け)と同27日、堺市金岡体育館(卍固めでギブアップ負け)の2回対戦、猪木以外の対戦相手にフォール、ギブアップ負けしていませんでしたがその後WWFのスーパースター達が大挙来日するようになった新日本から呼ばれることはなく、久しぶりの来日となった訳です。
ザンビア・エキスプレスは83年にフロリダで結成されたイスラム系アフリカ人兵隊ギミックのチームであり、ヒロ・マツダのブッキングにより来日。
新日本もWWFとの関係が微妙になってきつつあった時期だけに、WWFとカルガリー、メキシコ以外の外国人ルートを模索中でした。
プエルトリコ出身のアヤラは76年9月、国際プロレスのビッグ・ゴールデン・シリーズに初来日し約7年半ぶりの再来日でした。
プエルトリコのプロモーターであるWWCのオーナー、カルロス・コロンはどちらかと言えば全日本寄りでしたがアヤラはカルガリーにこの時期おり、スチュ・ハートが送って来たかと思います。
そのハート一家の次男、ブルースは前年9月のブラディ・ファイト・シリーズ以来半年ぶりの再来日。ハート一家も実際はブレットとオーエン以外はあまり成功したとは言えません。
日本側はメキシコ遠征から保永昇男が凱旋帰国していますが、このシリーズもザ・コブラが不参加だった為、活躍の機会は少なかったように思います。
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