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2016年02月24日23:48

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ジャンボ鶴田怪物伝説(237)

80年7月11日、津島市民会館で開幕したサマー・アクション・シリーズには元トンガ力士福ノ島のプリンス・トンガ(当時21歳)が凱旋帰国して新風を吹き込みました。

鶴田はシリーズ最終戦の8月7日、後楽園ホールでブルーザー・ブロディとUNヘビー級王座防衛戦を行い1-1から両者リングアウトの引き分けで2度目の防衛。

見ている側には不完全燃焼だったこの試合ですが、ブロディがこの試合で鶴田のアスリートとしての身体能力の高さにフィジカル面において負けていると感じ、以後は減量に取り組んだとのことです。

8月20日、後楽園ホールで開幕のサマー・アクション・シリーズ2には夏休みの風物詩、ミル・マスカラス、ドスカラスのマスカラス・ブラザーズが来日。

馬場、鶴田と対戦させると体格差があり過ぎていい試合にならないことをようやく馬場が認識したか、このシリーズはマスカラス・ブラザーズが主役となるPWF杯争奪タッグ・トーナメントが開催され、8月29日、大阪府立体育会館での決勝戦ではザ・デストロイヤー、ザ・クルーザー(ロジャー・カービー)組を2-1で降し優勝しています。

シリーズ終盤戦にはNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが約3か月ちょっとという短いスパンで特別参加。

この時トップバッターで迎え打ったのはまたも鶴田で、9月1日、鹿屋市体育館でレイスに挑戦し両者リングアウトの引き分け。(このシリーズのNWA世界戦は全て60分1本勝負)鶴田はこれで時間切れ、両リン含めてレイスとのタイトル戦は5回連続してのドローでした。

9月4日、佐賀スポーツセンターで馬場がレイスに挑戦、14分5秒、ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めで3度目の王座獲得。

馬場の場合は日本国内だけに限った王者なので同じに見るのは誤りかも知れませんが、48年にNWAが発足してから比較可能なところでは、記録の上だけを見れば、この時点でNWA世界ヘビー級王者に3回就いたのはルー・テーズ、レイス、馬場の3人だけでした。

第57代王者となった馬場は9月10日、大津市皇子が丘体育館でレイスのリターンマッチを受け、コーナーポスト最上段に登ったところレイスがロープにぶつかった衝撃で馬場がバランスを崩し急所をコーナーマットにしたたかに打ち付けてリング下に転落。

レイスが押さえ込んでフォール勝ちし王座奪回。馬場は過去2回と比較して1日少ない6日天下、防衛回数は0に終わりました。

第58代王者に返り咲いたレイスは9月12日、一宮市産業体育館でマスカラスの挑戦を受け、14分45秒、両者リングアウトでレイスが初防衛に成功。ベルトはしっかり取戻して帰国しています。

やはり、ここまで来るとレンタルチャンプと新日本プロレスと新日本ファンに揶揄されるのも仕方ないと思います。

馬場のNWA世界ヘビー級王座奪取の背景には、いずれも猪木と新日本プロレスに対する痛烈な皮肉と怨念の気持ちが渦巻いていました。

初回の74年はストロング小林、大木金太郎を連破して勢い上がる猪木が馬場と実力日本一を決めようと挑発を繰り返していた時。

「俺は世界を見ている、こちらが実力世界一である」というアピールだったように思います。

79年10月の2度目の獲得の時は11月末に猪木がボブ・バックランドのWWFヘビー級王座を奪うと予測され、それを見越しての先制パンチとしての王座獲得。

では3度目は何が馬場を奮起させ、ベルト返り咲きをさせたのでありましょうか…。

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