80年新春ジャイアント・シリーズに1年ぶりにブルーザー・ブロディが再来日。この時は地方興行はアブドーラ・ザ・ブッチャーがいれば売れた時期でありブロディを1年寝かせることが出来た訳です。
ブロディでは地方会場を満員にするだけの集客力はなく、またブロディ自身もタフネゴシエーターになる前段階にいました。
1月11日、高知県民体育館で鶴田はビル・ロビンソンとUNヘビー級王座の防衛戦を行い1-1からまたも60分時間切れ引き分けとなりました。
1月22日、諏訪湖スポーツセンターで馬場は5か月ぶりにブロディを相手にPWFヘビー級王座防衛戦を行い反則含みながら2-1で王座防衛。3本目に馬場が見せたフィニッシュのアバランシュ・ホールド(雪崩固め)はコーナーポストから綺麗に飛んでおり、ようやく体調が上向きになった感じでした。
1月23日、72年国際プロレスから全日本に移籍した中堅の肥後宗典(本名本郷篤)が強制猥褻の疑いで逮捕されるという事件が発生。馬場にとっては手痛いバースデープレゼントになってしまいました。
暮れの最強タッグにエントリーされなかった天龍は新春ジャイアント・シリーズが終わると3度目のアメリカ修行へと出発しました。
2月23日、鹿児島県立体育館で鶴田はディック・マードックに2-1で敗れUNヘビー級王座から転落。
実力者マードックは73年10月から全日本にレギュラー参戦、この時9回目の全日本参戦でしたが、タイトル挑戦は74年11月の馬場のPWFと75年11月、ダスティ・ローデスと組んでの馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ、79年5月、ハーリー・レイスのNWA世界の3回のみ(74年8月、マスクマンのザ・トルネードに変身してデストロイヤーのUSヘビー級王座に挑戦した試合は除外)でした。
実際、マードックの使い方については馬場はあまり上手かったとは言えず、職人肌ではあるが無欲で田舎者丸出しのマードックは「品格に欠ける」と高くは買っていなかったことがわかります。
翌年に起きる全日本と新日本の外国人引き抜き抗争の中で、新日本の方が真価を発揮出来たのはマードック1人、と言っていいかと思います。
新王者マードックに2月27日、大村市民体育館でタイガー戸口が挑戦し1-1から60分時間切れ引き分け。
シリーズ最終戦の3月5日、黒磯市公会堂で鶴田がマードックにリターンマッチを挑み、1-1から首固めで王座奪回に成功。実際にはこのシリーズ、マードック以外に挑戦者として適当な人材がいなかったと思われますが、結果的にはマードックの登用は大当たりでした。
話は前後しますが、2月18日、前年暮れまで全日本に上がっていた大木金太郎が国際プロレスへの入団を発表しています。
これは国際プロレスを放送していた東京12チャンネル主導で視聴率アップの為のてこ入れとして話が進められており、ラッシャー木村との2大エース時代到来、と12チャンネル側はアピールしましたが、既に実年齢が51歳(4歳サバ呼んでいた)大木にもはや多くを期待するのは最初から無理な話でした。
しかし、全日本のリングで馬場、鶴田を相手に卑劣な急所攻撃をやったり、ブッチャー、シーク、カマタとタッグを組まされている大木を見るのもしんどかったのは事実でした。
母国韓国では国民的ヒーローであり、英雄志向の強かった大木に上田馬之助のようなヒールを要求するのも厳しく、ベビーフェイスとして国際のリングに上がることについては個人的には賛成でした。
春の第8回チャンピオン・カーニバルはテリー・ファンクがNWA世界ヘビー級王者を経験してから初めて5週間の長期シリーズにフル参戦。
シングルのリーグ戦ながらテリー、ディック・スレーター、テッド・デビアスのテリー軍団、ブッチャー、レイ・キャンディのブッチャー軍団に分かれ、軍団対抗戦の様相を呈しました。
5月1日、福岡九電記念体育館で鶴田はスレーターを23分45秒、ジャーマン・スープレックスホールドで破り29歳、7回目の出場にしてついに初優勝を遂げました。
決勝で鶴田に負けるのは馬場、テリー、ブッチャーのいずれでもなく、シリーズ終盤になってブッチャーの塩攻撃で独眼竜となりながらも鶴田、馬場を公式戦で連破したスレーターだったところがまだまだ馬場の「世代交代はさせない」という執念を感じさせました。
暮れの最強タッグでブッチャーと仲間割れしたザ・シークがシリーズ終盤に特別参加。
5月2日、後楽園ホールでブッチャーvsシークのスペシャルマッチが実現。かつてのデトロイトの黄金カードの遺恨試合に後楽園には3300人の観衆が詰めかけました。
試合はノーコンテストとなりましたがシークに襲われた実況の倉持隆夫アナウンサーが額をザックリ切って大流血。
おそらく、シークは倉持アナに「動くな」と指示してから剃刀で少しだけ切って流血させる予定だったかと思われますが、
事前に知らされていなかった倉持アナは素人が故に恐怖のあまりあらぬ方向に動いてしまい、惨事となったかと考えます。
プロであるシークにカットを任せておけば救急車で運ばれることはなかったかと思われますが、これは倉持アナに非はなかったです。
この試合は5月10日の放送は見送られ、代わりにセミ前のロッキー羽田vsデビアスがノーカット放映され、11月の最強タッグ前に予告編としてシークの放送席襲撃シーンをまるまるカットしたダイジェスト版が放送されています。
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