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2016年02月11日11:19

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ジャンボ鶴田怪物伝説(231)

79年サマー・アクション・シリーズにはドリーとテリーのザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークの4人が時間差で特別参加。

暮れの最強タッグ限定であった黄金カードを夏場にも実現させています。

ファンクスの来日会見に1月29日、大阪府立体育会館で鶴田と2度目のUNヘビー級戦を行い、2度ともフルタイムの死闘を展開、日韓三軍激突戦の後アメリカに戻っていたキム・ドクこと戸口正徳が姿を現し、師匠である大木金太郎との訣別を宣言、身柄はファンクス預りとなったと語りました。

戸口は自分が参加していなかった第7回チャンピオン・カーニバルで大木がブッチャーと結託したことに激怒、大木に見下り半を突き付け今後の身の振り方をファンクスに一任する、とのコメント。

これを受けてファンクスと馬場が深夜会談を行い、翌7月13日、いわき市関船体育館の控室で馬場が戸口を伴って会見を行い、戸口の全日本プロレス入団が発表されています。

後に雑誌「Gスピリッツ」に掲載された戸口のインタビュー記事によると「2度目に全日本のリングに上がる為に日本へ戻った時に表向きはフリーだったけど実際は全日本と所属契約をしていた」と語っています。

とすると77年10月29日、黒磯市公会堂での鶴田とのノンタイトル戦の時から全日本所属となり、ヒールサイドとして試合に出場していたことになり、この時のベビーターンを契機に所属を公にしたということになります。

戸口入団会見のあったいわき大会ではファンクス、鶴田組vsブッチャー、シーク、大木組の6人タッグマッチがメインで実現し1-1からテリーが大木を体固めに降しファンクス、鶴田組の勝利。

7月14日、松戸市運動公園体育館ではドリーとシークが60分3本勝負で対戦。1-1からドリーが後方回転エビ固めで勝利。

テリー、鶴田組とブッチャー、大木組は両チームリングアウト。

戸口がこの日より本名の戸口正徳として全日本「入団」第1戦を行い馬場とのタッグでムース・モロウスキー、ロジャー・カービー組と対戦し戸口がカービーを体固め。

実際、6年半の間、助っ人として全日本を支えていたザ・デストロイヤーの帰国により馬場、鶴田に次ぐ第3の男が必要であったのは事実でした。

大相撲から転向してきた天龍源一郎は77年6月の最初の凱旋の時にブレイクせず、78年の日韓三軍激突戦が終わると2度目の修行に出ており、この年の2月10日、シカゴに馬場、鶴田が遠征して来た時に呼ばれ鶴田と組んで試合に出ていますが、馬場の目にはまだまだだったと思われます。

馬場の子飼いで大型パワーファイターとして期待されていたサムソン・クツワダは馬場を裏切って新団体設立に動いていたことが発覚し77年12月に全日本を解雇されてしまいました。

その点外様ではありますが大型でかつ基礎が出来ていて派手なセールをし、ダイナミックで見映えのする綺麗なバンプを見せる戸口は馬場の好みには合っていたように思われ、ジョバーとしてもいい仕事をしていました。

7月15日、品川プリンスホテルゴールドホールではファンクスvsブッチャー、シーク組がスペシャルマッチ60分3本勝負で激突。

1本目はドリーがシークを片エビ固め、2本目はブッチャー、シーク組がリングアウト勝ち、3本目は大荒れのノーコンテストになっています。

観客も7800人(超満員)発表で夏の主役はファンクス、ブッチャー、シークの外国人勢となりました。

7月18日、金沢市卯辰山相撲場ではテリーとブッチャーの遺恨試合が実現しテリーが反則勝ちとなりましたが、テリーのウィークポイントである左膝にブッチャーがフォークを突き刺す残虐なシーンがあり、今なら地上波ではおそらく放送出来なかったと思われます。

このシリーズ、鶴田のUNヘビー級王座防衛戦はなく、馬場とのインターナショナル・タッグ王座防衛戦はシリーズ終盤の7月24日、水戸市民体育館でブッチャー、大木組相手に行われ、1-1から両チームリングアウトの引き分け。

この試合はファンクスとブッチャー、シーク絡みの大会は全てテレビ中継された為ノーテレビとなり、注目を浴びることはなく全日本の外国人天国化はますます加速していきました。
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