75年2月5日、テキサス州サンアントニオ・ミニュシバル・オーデトリアムで鶴田は師匠馬場とのタッグで3度目の挑戦にしてザ・ファンクスを2-1で破りキャリア2年、23歳にして初のベルト戴冠という偉業をやってのけました。
8月のNWA総会で猪木の新日本プロレスは73、74年の2年連続反対多数で否決されたNWAへの加盟を果たします。
しかしNWAが猪木に対して呈示した条件は�’肋譴斑舂匹�し、お互いのテリトリーを荒らすことなく共存共栄をはかること。��猪木のNWA世界ヘビー級王座への挑戦は1年間は認めない。�G肋譴料監�本プロレスに来日している外国人レスラーは呼べない。というものでした。
これを聞かされた猪木はNWA世界ヘビー級王座への興味を急速に失っていきました。個人加盟だったNWAは翌年からは新日本プロレスは坂口と新間寿営業本部長の名前でメンバーに名を連ねることになります。
75年後半は前年74年に猪木に再三に亘り対戦要求を繰り返され、沈黙を守っていた馬場が報復に出ました。
5月まで新日本に上がっていた大木金太郎を引き抜いた馬場は10月30日、蔵前国技館で大木と一騎討ち。6分49秒ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めで勝利。猪木が前年10月に大木を倒した13分13秒の約半分の時間で勝ったことで猪木との格の違いをアピール。
その前の9月29日、銀座東急ホテルで記者会見を行った馬場は12月に内外の強豪20選手を集めて行われる「オープン選手権」の開催を発表。
「内外問わず、広く門戸開放し参加を募る」とアピールしました。門戸開放とは即ち、協力関係にあった国際プロレスに対してではなく猪木の新日本プロレスに向けられたものでした。
「テレビ放映権も興行権もくれてやる、馬場よ戦え!」と言われたのを馬場は忘れてはいませんでした。
これに対し猪木は「私が対戦したいのは馬場さんだけ。自分のところのスケジュールを犠牲にして馬場の興行を助ける気はない」とコメント。馬場に挙げ足を取られてしまいました。
さらに新日本プロレスでは10月13日、南青山にあった事務所で記者会見を行い、本年度最終戦12月11日、蔵前国技館で猪木に国際から移籍して来るビル・ロビンソンが挑戦するNWF世界ヘビー級選手権試合の開催を発表しました。「夢の対決実現」と大きな話題を提供しています。
それから8日後の10月21日、東京ヒルトンホテルで記者会見が行われ百田敬子力道山未亡人と百田家後見人の山本正男氏が「12月11日、日本武道館で力道山13回忌追善記念興行を開催することになりました。全日本、新日本、国際の3団体に参加して頂きたい」と発表。
記者から「新日本プロレスは12月11日に蔵前国技館で猪木vsロビンソンをやると発表しているが」と質問が出たところ山本氏は「夏頃猪木に力道山13回忌追善興行をやるから出てくれと話をした時に『それは素晴らしい、是非とも参加したいです』と言ってくれた。だから参加してくれるものと信じている」とコメント。
この会見に馬場は出ていないものの、馬場が全日本を旗揚げした際に百田家の協力を取り付け、力道山が保持していたインターナショナル王座のチャンピオンベルトを寄贈され、それがPWF(世界)ヘビー級選手権となっています。73年2月27日、日大講堂での世界ヘビー級王座争奪十番勝負最終戦でボボ・ブラジルを破った馬場は「力道山ベルト」を腰に巻きました。
しかし力道山の体型に合わせて造られていたベルトは馬場には小さく、直ぐに赤い縁取りに黒革製のPWFベルトに造り変えられています。
また、力道山長男の百田義浩をリングアナウンサーに雇い入れ、70年に日本プロレスでデビューしたものの一度プロレスを辞めていた次男、百田光雄をレスラーとして上げており、馬場と百田家は当時親密な関係にあったことから、この会見のシナリオを描いていたのは馬場と日本テレビであることは想像に難くないものでした。
10月29日、再び東京ヒルトンホテルで行われた記者会見には敬子未亡人、山本氏に加え馬場と国際プロレスの吉原功社長が出席、12月11日、日本武道館での力道山13回忌追善記念興行に全日本と国際が参加、猪木の新日本プロレスからは参加の返事がなく、不参加と判断したと発表。
山本氏は猪木を「恩知らずのバカ者」と罵り、敬子未亡人は「猪木さんに力道山門下生を名乗って欲しくない」と非難しました。
全ては事前に団体間の根回しが一切なしでのマスコミを使った一方的な呼び掛けであり、猪木が参加出来ないことを前提に仕組まれたものでした。
結果、12月11日は全日本、国際、日本(団体崩壊しており名前だけ)合同による日本武道館での力道山13回忌追善記念興行と新日本の蔵前国技館の興行戦争となりました。
さすがにこの時は猪木に対しての同情の声が大きく、武道館は14500人発表、蔵前は12000人発表で会場のキャパの違いはありましたがどちらも満員となっています。
武道館のメインイベントは「師弟混戦タッグマッチ」と銘打たれ、馬場、ザ・デストロイヤー組vsドリー・ファンク・ジュニア、鶴田組というカードが組まれ、鶴田はこの時初めて馬場と対戦しています。
1本目はデストロイヤーがドリーを体固め、2本目は鶴田がデストロイヤーを片エビ固め、3本目は馬場のアシストがありデストロイヤーが鶴田をエビ固めに丸め込み2-1で馬場、デストロイヤー組が勝利を収めました。
猪木を「黙らせる」のが目的だった馬場の目論見は見事、成功し、猪木はしばらくの間、「馬場挑戦」を口にしなくなりました。
オープン選手権の12月13日、福井市体育館で鶴田は国際のエース、ラッシャー木村と初対決、9分19秒両者リングアウトの引き分け。
12月15日、仙台・宮城県スポーツセンターで鶴田はオープン選手権公式戦で馬場と初対戦。このカードはシリーズ開幕前にファン投票で選ばれた「ファンが見たいカード」の第1位に選ばれました。
鶴田は馬場の巨体をサイド・スープレックスで投げて観客を驚かせましたが16分49秒、河津落としからの体固めに敗れました。
オープン選手権の最終戦は12月18日、川崎市体育館で行われ鶴田はドリーと30分時間切れ引き分け。これで10点となったドリーでしたがこの後の試合で馬場がホースト・ホフマンを破って11点となり優勝。日本プロレスから寄贈されたワールド・リーグ戦の大トロフィーを手にしました。
鶴田はディック・マードック、マイティ井上、ヒロ・マツダ、ドリーに時間切れ引き分け。ホフマンに勝ちで6点、R木村と並んで敢闘賞を受賞しています。
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