79年1月26日、岡山武道館でジョニー・パワーズのNWF北米ヘビー級王座に挑戦した坂口は20分1秒、コーナーポストからのフライング・ニードロップからの体固めで破り王座獲得。北米タッグ王座と併せて「北米2冠王」となりました。
この時、坂口の入場テーマ曲として新たにオリジナル楽曲である「燃えよ荒鷲」(淡海悟郎作曲、ミノタウロス演奏)が制作されキングレコードより発売されました。
この時代までのプロレステーマ曲と言えばスカイハイの版権を持っていたテイチクと全日本プロレスの寡占市場で、アルバムも発売されており、
新日本プロレスは猪木の炎のファイター、藤波のドラゴン・スープレックス位で後はアリモノの楽曲を入場テーマ曲に使用していました。
この年、キングがプロレステーマ曲市場に初参戦。全日本女子を除く男子既存3団体の選手のテーマ曲を発売。
会場で使用されることはありませんでしたが馬場のテーマ曲「チャンピオン」、国際プロレス期待の阿修羅・原の「阿修羅」が同年4月にシングルレコードとして同時発売されました。
キングのターゲットは最初から新日本プロレスで、テイチクと既に親交が図られていた全日本と失礼ながら売れないであろう国際にはそれほど力は入れず。
8月には3団体の主要レスラーのテーマ曲が収録されたアルバム「プロレス・スーパーファイターのテーマ」が発売され、翌年には新日本の選手のテーマ曲だけを収録した「新日本プロレス・スーパーファイターのテーマ」が発売されました。
坂口の北米ヘビー級王座奪取はキングレコードとのテーマ曲発売のタイアップと考えることが出来ます。
新春黄金シリーズ最終戦の2月2日、札幌中島スポーツセンターでは坂口はストロング小林とのタッグでボブ・ループ、クルト・フォン・ヘス組を2-0のストレートで降し北米タッグ王座9度目の防衛に成功し北米2冠王としてシリーズを締めくくっています。
次のビッグ・ファイト・シリーズでは3月30日、秋田市立体育館で上田馬之助が北米ヘビー級王座に挑戦。12分13秒、ジャンピング・ニーアタックから体固めで坂口が初防衛に成功。
シリーズ最終戦の4月5日、東京体育館では新日本プロレス史上初の「4大タイトルマッチ」が開催されています。
猪木のNWFヘビー級王座にはタイガー・ジェット・シンが挑戦。
坂口、S小林組の北米タッグ王座には狼軍団のヒロ・マツダ、マサ齊藤組が挑戦。
3月1日付でニューヨークのビンス・マクマホン・シニアが代表を勤めるWWWF(ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション、世界広域レスリング連盟)が「ワイド」の1字を削除しWWFに名称変更しています。
藤波の持つWWFジュニア・ヘビー級王座には初来日のメヒコの狂犬ペーロ・アグアヨが挑戦。
75年6月にメキシコに渡り、スペルエストレージャになりこのシリーズ凱旋帰国したグラン浜田(リトル浜田)は同じく初来日のベビー・フェイスの挑戦を受けUWA世界ジュニア・ライト・ヘビー級王座の防衛戦を行いました。
浜田はメキシコ修行中にメキシコ人女性と結婚し現地に家庭を持っていた為、日本には定着せず、メキシコが主戦場でした。
猪木とシンの試合はランバージャック・デスマッチ(双方のセコンドがリング下を囲み、場外転落した選手をリングに上げてリング内で決着を付けるルール)で行われ、20分26秒、猪木がトップロープからのフライング・ニードロップでシンを体固め。19度目の防衛に成功しています。
北米タッグ選手権試合は1本目は8分4秒、齊藤が坂口をバックドロップから体固め。2本目は2分58秒、坂口が齊藤を逆エビ固め。
決勝の3本目、狼軍団の連係に小林が捕まり、齊藤が小林を固定して動けなくしておいてのマツダがフライング・ニードロップを決め、5分24秒、マツダが小林を体固め。
2-1でマツダ、齊藤組が王座獲得。坂口、S小林組は10度目の防衛に失敗しています。
藤波は8分50秒、飛龍原爆固めで完勝し16度目の王座防衛。ライト・ヘビー級のアグアヨとは体格差もあり比較的楽勝でした。
浜田は12分12秒、ウラカンラナ(前方高角度回転エビ固め)でフェイスに勝利し防衛。
観客は8500人発表と満員マークはつかなかったもののまずまずの入りでした。4大タイトルマッチは北米タッグ王座のみが移動しました。
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