馬場、鶴田、天龍のアメリカ遠征はまず初戦は82年2月18日、カンサス州カンサスシティ・メモリアルホール大会、天龍はカンサスには参戦せず、フロリダで馬場、鶴田と合流というスケジュールになりました。
馬場、鶴田組はこの日、ブルーザー・ブロディ、ジェリー・ブラウン組と対戦。ブラウンはバディ・ロバーツとのハリウッド・ブロンドスのリーダーとして、国際、新日本に来日経験のあるベテランです。
試合は馬場がブラウンを僅か6分25秒にカウンターの16文キックから片エビ固めでフォールし快勝しています。
この日のメインイベントはハーリー・レイスvsダスティ・ローデスの60分3本勝負が予定されていましたが、ローデスが当日になり負傷を理由に欠場。
ローデスは2月11日まで新日本プロレスの新春黄金シリーズに参戦しており、カンサス大会の参戦は不可能ではありませんでしたが、ローデスの優先ブッキング権を持つビンス・マクマホン・シニアが馬場との接触を懸念して参戦をストップさせたか?いずれにせよ当日ドタキャンとなってしまいました。
この為、急遽ブロディがこの日2試合目の出場となり、メインでレイスと対戦しました。
1本目は6分44秒にブロディがキングコング・ニードロップから体固め。2本目になるとレイスも反撃、得意のダイビング・ヘッドバットを見せるもフォールには至らず。
ブロディは苦し紛れにレイスをトップロープ越しに投げ捨て、オーバー・ザ・トップロープにより4分35秒、レイスの反則勝ち。
決勝の3本目は両者流血の場外乱闘となりレイスは椅子を持ち出してブロディを攻撃。4分両者反則の裁定となり1-1の引き分けとなりました。
ブロディはローデスの欠場を美味しいと判断し、プロモーターのボブ・ガイゲルに「出てやる」と言わんばかりに恩を売り付け、カンサスの顔役レイスに3本勝負でピン負けを許さないマッチメークを通しました。
これこそブロディの満足する仕事だったのでしょう。
また、この大会にはアンドレ・ザ・ジャイアントが参戦。全日本プロレスと新日本プロレスの引き抜き抗争は前年10月にネバダ州ラスベガスで行われたNWA総会で議題に上がる程アメリカでもナーバスな問題になっていました。
アメリカではベビーフェイスのアンドレはゲスト参戦の馬場、鶴田と同じ控室になります。
この為、アンドレは日本の取材陣がカメラを向けるとやんわりと取材拒否しました。馬場とのツーショットを撮られたら日本のマスコミに何を書かれるかわかりません。
アンドレはこの後のフロリダサーキットにも加わることが決まっており、さらに3月5日、横浜文化体育館で開幕する新日本の第5回MSGシリーズに来日が決定していましたので、そっとしておいて欲しかったのでしょう。
日本でマスコミに対して見せる「ゲラウェイ、ヒア!」と野太い声で怒鳴り付けるのはあくまでアンドレのヒールとしてのパフォーマンスでした。
この日アンドレはトミー・リッチと組んでバロン・フォン・ラシク、ザ・スーパーフライ組と対戦しリッチがラシクを回転エビ固めに丸め込んで勝利を収めています。
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