猪木は75年にNWAに加盟しながらも、ついにNWA世界ヘビー級王座に挑戦出来ずに終わっています。
新日本プロレスの新間寿営業本部長は「藤波にNWA世界ジュニアのベルトを巻かせたい」と策走、ビンス・マクマホン・シニア、マイク・ラーベルを通じてエディ・グラハムに接触しました。
そこでグラハムに頼んで作ってもらったのがNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級のベルトでした。
79年12月、フロリダで初代王者決定トーナメントが開催され、決勝でスティーブ・カーンがチャボ・ゲレロを破って初代王者に。(トーナメントは行われず単に王座決定戦だという説もあり)
翌80年2月1日、札幌・中島スポーツセンターで藤波がカーンを破り王座獲得。この時立会人としてグラハムが新日本のリングに登場しています。
「ついにNWAの大物プロモーター(ラーベルは除く)が新日本に来てくれた」と新日本ファンは大喜び。
馬場の全日本プロレスがビッグマッチになるとサム・マソニック元会長を初め、ジム・バーネット、ジム・クロケット・ジュニア等大物プロモーターを呼び、権威を振りかざしているのを悔しい思いをして見ていた新日ファンは溜飲が下がったかと思います。
2月8日、東京体育館でのカーンとのリターンマッチでも勝利した藤波はフロリダに王者として遠征。
2月12日セントピースバーグでカーンを退けるも2月15日ハリウッドでエディの息子マイク・グラハムの足4の字固めに無念のギブアップ負けを喫し王座転落。
新王者マイクは新日本に来日4月4日川崎市体育館で藤波がマイクをジャーマンで破りベルトは再び藤波の腰に巻かれました。
4月16日にはマイアミビーチ・コンベンションセンターでのビッグマッチに猪木、藤波が出場。
藤波はドン・ダイヤモンドをジャーマンで降しNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を防衛。
猪木はボブ・バックランドの持つWWFヘビー級王座に挑戦。オーバー・ザ・トップロープで猪木が反則負けとなり王座奪取成らず。
この試合はテレビ朝日の水曜スペシャルで放送されましたが、バックランドと猪木の試合は日本人的には全然悪い試合でないのですがとにかく客が沸かない試合でした。
猪木のフロリダ登場は1回きりで終わり、猪木の試合は客受けしないと判断したか?グラハムと新日本プロレスの提携はこの年限りで収束したようでした。
グラハムは日本でのビジネスパートナーはやはり馬場と判断したようで81年からは流れが少し変わっていきました。
3月にはジャック・ブリスコが全日本に出戻り参戦。新日本に上がったバグジー・マグローも全日本へ来日しました。
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