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2015年04月26日22:52

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ジャンボ鶴田怪物伝説(188)

最後に来てスタン・ハンセンの全日本プロレス移籍という大波乱で幕を閉じた81年世界最強タッグ決定リーグ戦はブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組の優勝に終わりました。

ブロディ、スヌーカ組はスヌーカが素早い動きで試合を作り、ブロディがとどめを刺すという連係が出来ており、チームとしては完成されていました。

スヌーカはこの年の来日が一番動きが冴えていて翌82年にはWWF入りしますが、それに合わせるかのようにウェイトアップしてしまい、本来のスーパーフライの魅力が欠けて来たように思います。

2位の馬場、鶴田組とザ・ファンクスだけが77年の世界オープン・タッグ選手権から数えて5年連続出場でしたが大会を通じて目立った活躍は感じられませんでした。

4位のタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組ですが、全日本の超一流外国人の中に入ってしまうと「その他大勢」のイメージが強くなってしまったように思われます。

特にシンはこのメンバーの中だと完全に位負けしてしまい、アメリカの大舞台でのヒールでの経験値の少なさがハッキリ出てしまいました。

むしろ、上田の方が全日本の試合のリズムに合った試合をしていました。

5位のハーリー・レイス、ラリー・ヘニング組はセミリタイア状態だったヘニングの動きが心配されましたが、徐々に調子を上げ後半巻き返し、4勝、8点とまずまずでした。

上位のチームから1つの勝ち星も挙げられなかったのは残念で、レイスの恩返しはこの年限りにして、次回からは優勝を狙えるパートナーとエントリーして欲しいと思いました。

ただし、12月3日大阪府立体育会館でのブロディ、スヌーカ組との試合でのヘニングは良かったです。

6位のザ・シーク、マーク・ルーイン組は序盤の2連勝だけで後は両リンと反則負けに終わり、上位チームからも勝てずかなり不本意な成績でした。

シークは前年がグレート・メフィストという弱体パートナーで気の毒な面がありましたが、強豪ルーインも44歳とピークを過ぎていた為結果的には下位に甘んじました。

最下位の7位にはバロン・フォン・ラシク、キラー・カール・クラップ組、天龍、阿修羅・原組、グレート小鹿、大熊元司組の3チームが1勝の2点で並びました。

ラシク、クラップ組については前回書いておりますので割愛しますが、中堅の極道コンビは公式戦が1試合もテレビで放送されていないので判断しようがないですが、ポジションからしてやむを得ないでしょう。

天龍、原組に関してはこの年、特に天龍が7月30日、後楽園ホールで馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦して健闘し10月6日には仙台・宮城県スポーツセンターではリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦するなど一段ランクアップしていただけに最下位は予想外でした。

スコアだけ見れば、国内デビュー1年目の77年世界オープン・タッグ選手権にロッキー羽田とのハンサムフレッシュコンビとして参加した時の1点(マイティ井上、高千穂明久組と時間切れ引き分け)と大差なく、翌年以降に大きな課題を残しました。

リーグ戦自体は番狂わせのない平坦な内容でしたが、ハンセンの乱入が全て持って行ってしまった感じでした。

ちなみにハンセン乱入のあった蔵前国技館大会の支度部屋での映像でシンとシークが突然乱闘を始めるシーンがありますが、

これはハンセンの乱入により、日本での仕事を失いかねないシークが危機感を抱き、次の来日につなげようとアメリカでは子分格にあたるシンを巻き込んで仕掛けたものでした。

ハンセン、ブロディのスピード&パワー&ラフの新しい時代のレスリングが全日本の主流になれば、凶器、流血、場外乱闘主体の自分達は自ずと声がかからなくなる、そう判断したのです。

しかし、プロモーターである馬場の預り知らない乱闘アングルはやはりご法度で、これが馬場の怒りを買ったか、シークは以後全日本に呼ばれることは2度とありませんでした。

シークの次の来日はこの時から実に10年後の91年111月、FMWの世界最強総合格闘技タッグ・リーグ戦に甥のサブゥーと一緒に参加した時になります。

新日本プロレスとの東名阪興行戦争は、

愛知県体育館(11月30日全日本5400人、12月1日新日本12000人)、大阪府立体育会館(12月3日全日本6800人、12月10日新日本10000人)蔵前国技館(全日本、新日本共に11500人となりました。)

名古屋はテリーvsブロディ、レイスvsシンの夢のシングルマッチと馬場、鶴田組vs天龍、原組の公式戦。

新日本はMSGタッグ・リーグ戦決勝戦後に放送するスペシャルマッチが組まれ、猪木vsハルク・ホーガン、タイガー戸口vsアンドレ・ザ・ジャイアント、キラー・カーンvsハンセンが行われました。

全日本の公式戦が優勝戦線とかけ離れたカードであり、元々新日本人気の高い地盤だった為か、主催者発表ながらダブルスコア以上の大差がついてしまいました。

ちなみに新日本の名古屋大会はハンセンの全日本移籍決定後の12月25日に放送されており、カーンとハンセンの試合は放送が見送りになりました。(後にサムライT Vの闘いのワンダーランド、テレ朝チャンネルのワールドプロレスリングクラシックスでは放送された)

大阪の全日本はブロディ、スヌーカ組vsレイス、ヘニング組、馬場、鶴田組vsラシク、クラップ組、シン、上田組vsシーク、ルーイン組の3大公式戦をでした。シンとシークの日本初対戦を持って来たあたりは新日本を意識したものと思われますが、その他のカードが比較的おとなしめでした。

優勝決定戦の新日本は10000人という日本プロレス時代のような観客数になりましたが、さすがに定員6000人の旧府立には水増しもいいところでしたが、掛け値なしの超満員だったのは事実かと思われます。
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