キラー・カール・クラップは翌75年の新日本プロレス第2回ワールド・リーグ戦にもエース格として来日。
この時も公式戦で猪木にリングアウト勝ち、坂口、ストロング小林にはフォール勝ち。大木金太郎とは両者リングアウト。
山本小鉄の回転エビ固めに金星献上しましたが13
・5点で堂々の1位通過。
2位に12・5点で猪木、坂口、S小林、大木の4人が並ぶという展開になりました。
優勝決定戦の5月16日、日大講堂では抽選の結果、決勝進出者決定戦第1試合が猪木vsS小林、第2試合が坂口vs大木、さらに第1試合と第2試合の勝者同士が対戦、その勝者とクラップが優勝決定戦で対戦というスリリングなものになりました。
この日はテレビ生中継で、果たして54分の放送時間内に全て収まるのか?という懸念もありました。
第1試合の猪木vsS小林は猪木が20分22秒、グラウンド卍固めで勝利。
続く第2試合の坂口vs大木は73年の日本プロレス崩壊時の遺恨試合として4月25日福山市体育館での公式戦はノーコンテスト。
通常なら両者無得点ですが、プロレスマスコミ識者によって構成された「試合監視委員会」の裁定により「喧嘩ではなくプロレスをするように」と5月9日、高松市民文化センターで異例の再試合が行われました。
この試合では場外で錯乱した大木がリングアウト負けとなっています。
そしてシリーズ3度目となったこの日の対戦では大木がゴング前から奇襲を仕掛けて試合は大荒れとなり2分33秒、没収試合で両者失格となってしまいました。
坂口は2年連続、不本意な形で決勝進出を断念せざるを得なくなった訳です。
これにより猪木が決勝進出しクラップと対戦、優勝決定戦は2年連続同一カードとなりました。
猪木はクラップを流血に追い込んでブレーンバスターからまたもグラウンド卍固め。16分42秒、猪木が2連覇を達成しました。ちなみにテレビ中継は猪木vsクラップの途中で終了しています。(翌週の5月23日の放送の冒頭で試合の後半が放送された。)
76年の第3回ワールド・リーグ戦にクラップは3年連続出場を果たしていますが、この年はモハメド・アリ戦を控えた猪木はシード出場。
元WWWFヘビー級王者、ラテンの魔豹ペドロ・モラレスが新日本初参戦となりました。
モラレスは4月23日岡山武道館で坂口を破りリーグ戦を全勝で勝ち進んでいました。
5月7日、高松市民文化センターでの猪木、星野勘太郎組vsビクター・リベラ、ラウル・マタ組の試合に角材を持って乱入してきたクラップは猪木の左肩を角材で滅多打ち。
左肩を負傷した猪木は優勝決定戦出場を棄権することになりました。
この日続けて行われたモラレスとクラップの外国人頂上対決はモラレスが回転エビ固めで完勝。メインの坂口vsS小林の一戦は坂口がブレーンバスターから体固めで勝利。
モラレスはリーグ戦13戦全勝で1位通過。2位に坂口、クラップ、リベラの3人が10勝3敗で並びました。
5月10日、仙台・宮城県スポーツセンターでは巴戦による決勝進出者決定戦が行われています。
第1試合はクラップがリベラに勝利。第2試合は坂口がリベラに勝利。第3試合で坂口はクラップにブレーンバスターでようやくフォール勝ちを収め3年目にして初の決勝進出。
5月11日、東京体育館で行われた優勝決定戦はモラレスvs坂口の組み合わせとなり、25分38秒、坂口がコーナーポスト最上段のモラレスを場外へのデッドリードライブで投げ落とす荒技でリングアウト勝ちしついに初優勝を遂げました。
クラップのワールド・リーグ戦参加はこの年迄で77年4月、78年10月と新日本に参戦。
しかしWWFとの業務提携強化により大物外国人レスラーが多数上がるようになった新日本のリングにはクラップの居場所はもはやなくなったか、80年1月には国際プロレスに来日。
当時国際は新日本と提携していましたがクラップは新日本からの斡旋による来日ではありませんでした。
1月7日大阪府立体育会館、1月28日蒲郡市民体育館とラッシャー木村の持つIWA世界ヘビー級王座に挑戦しましたがいずれもフォール負けで敗退。
同年11月にも国際に再来日しましたが、この時はアレックス・スミルノフに木村挑戦のチャンスを奪われタイトル戦線には絡めずに終わっています。
このタイミングでの全日本プロレス初参戦は馬場の新日本に対する「間接的報復」要員として呼ばれた事は明らかでした。
実力的には、アマレス東京五輪日本代表に選ばれ(試合には出場せず)、プロレス入りしてから長くAWAでメインイベンターの座にいたラシクの方が上でしたが、日本での活躍の実績はクラップが上回ります。
天龍は77年の世界オープン・タッグ選手権にロッキー羽田との「ハンサムフレッシュコンビ」として参加して以来のエントリー。
パートナーの阿修羅・原とは後に龍原砲として日本を代表する名タッグチームとなりますが、この時はまだ日本側2番手チームの域を出ていません。
グレート小鹿、大熊元司組の極道コンビもリーグ戦初参加となりました。現アジア・タッグ王者チームの石川隆士、佐藤昭雄組を差し置いてのエントリーは、初顔チームが多かった為ポリスマン的存在として馬場が信頼を置いていたからと思われます。
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