mixiユーザー(id:21258650)

2022年01月08日06:54

355 view

ストロング小林さん追悼(2)

小林省三は67年7月27日、名古屋市金山体育館(観衆4,000人発表)で開幕の国際プロレス「パイオニア・サマー・シリーズ」でデビューが決まりましたが、吉原功社長は、小林を日本人初のマスクマン「覆面太郎」に変身させてデビューさせることにしました。

開幕戦の名古屋でのデビュー戦は第2試合に組まれ、20分1本勝負で東京プロレスから残留した先輩である大磯武と対戦、14分37秒、体固めで何と勝利。ちなみに第1試合では、小林と同期入門にあたる柔道、ボディビル経験者の井上末雄(マイティ、当時18歳)がデビューしており、仙台強(大剛鉄之介)と対戦し、13分27秒、逆さ押さえ込みで敗れています。

「気は優しくて力持ち」の正体不明のマスクマン、覆面太郎は最初から扱いが違いました。井上は後年まで小林に対して手厳しい評価をしていましたが、おそらく同時期に入門、デビューしておきながら最初の扱いから違っていたことから既にこの時に面白からぬ感情が生まれていたことと思います。

ちなみに、この日の名古屋大会、メインイベントはヒロ・マツダ&豊登組がビル・ドロモ&デニス・ホール組に2−0のストレート勝ちをしています。

第2戦の7月29日、大田区体育館(観衆4,000人発表)で覆面太郎と井上の新人同士の対戦が組まれ、16分32秒、覆面太郎が体固めで勝利。以後、覆面太郎は先輩達を相手に連勝街道をひた走りました。

7月30日、福島市民体育館 ○マンモス鈴木
7月31日、板橋区体育館  ○仙台
8月1日、岐阜市民センター ○松村幸治(早くに引退)
8月2日、大津市皇子が丘体育館 ○マンモス
8月3日、鳥取市民体育館 ○大磯
8月5日、隠岐の島町民グラウンド ○井上
8月7日、広島県立体育館 ○マンモス
8月9日、長崎市公会堂  ○仙台 
8月11日、大分市営体育館 ○井上
8月12日、熊本市体育館  ▲マンモス(両リン)
8月14日、大阪府立体育会館 資料なし
8月15日、浜松市体育館   ○井上
8月16日、蔵前国技館(最終戦) ○井上

「大阪夏の陣」と言われ、日本プロレスが同日同時刻に大阪球場大会を開催、馬場に現役NWA世界ヘビー級王者、ジン・キニスキーが挑戦したインターナショナル選手権試合をメインイベントに20,000人(満員発表)の観客を動員、対する国際プロレスの府立はマツダ&サム・スティムボート組vsドロモ&ロジャー・カービー組、豊登vsDホールというカードを組みましたが勝負にはならず4,000人発表、この大会は前座試合の熱戦譜が発見されませんでしたが、

日本プロレスで馬場、猪木、大木金太郎と並んで「若手四天王」と呼ばれ、力道山の期待も高くアメリカ修業にもいち早く旅立ったマンモス鈴木に両者リングアウトで引き分けた以外は全勝という、佐山聡の初代タイガーマスクばりの好成績でデビューシリーズを終えました。

そしてかねてより話のあったTBSの放送が本決まりとなり、アメリカ修業に出ていたグレート草津とサンダー杉山が凱旋帰国。

TBSの意向もあって、外国人レスラーのブッキング窓口には、力道山時代に日本プロレスの外国人ブッカーを務め、あまりのピンハネの厳しさに日本プロレスが「手切れ金」を払ってクビにしたグレート東郷が就任。

創業者の1人であり、国際プロレスに外国人をブッキングしていたマツダですが、国際プロレスは日本テレビとガッチリ繋がっていた日本プロレスとは異なり、団体が選手の食住の面倒を見るのではなく、選手はフリーランス形式のプロモーション、つまりアメリカのプロモーターと同じスタイルを目指していましたが、結果的に当時の日本には馴染まず、日本プロレス同様、道場、合宿所を用意することになりました。

マツダは共同経営者に名を連ねていながら、金銭面の負担を吉原社長に押し付けていたこともあり、東郷ブッカー就任の件を契機に国際プロレスから撤退しました。もう一人の共同経営者であったマティ鈴木も兄弟子格のマツダに倣って国際プロレスから離れましたが、吉原社長を気の毒に思ったマティ鈴木は自分の責任分だけは按分して吉原社長に分割返済しています。

旗揚げ当時から資金繰りに窮していた吉原社長は表に出られなくなり、完全にTBS主導で話が進められていました。
9 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年01月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031