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2021年01月31日22:11

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(25)

第141戦 7月1日発売号●【予想】グレート草津、日本初のチェーンデスマッチでザ・キラーにKO勝ち(74年国際プロレス福岡九電記念体育館)【正解】BI砲、最後の王座防衛、インターナショナル・タッグ選手権試合、馬場&猪木組vsイワン・コロフ&ダッチ・サベージ組(71年日本プロレス大阪府立体育会館)【参考】2015年7月1日発売号はアジア・タッグ選手権試合、キラー・カール・コックス&エディ・グラハム組vs馬場&吉村道明組(66年日本プロレス広島県立体育館)

【解説】国際プロレスがTBSの放送を打ち切られ、東京12チャンネルの放送が始まるまでの端境期に、日本初のチェーンデスマッチが行われています。71年夏にアメリカマット取材に出かけた東スポの桜井康雄とゴングの竹内宏介の両氏はフロリダで行われた「チェーンデスマッチの鬼」ボリス・マレンコ(グレート、ラリー)とディック・マードックのチェーンデスマッチを誌面(紙面)で採り上げ、その凄さを日本のファンに伝えました。

国際プロレスが70年に初めて行った金網デスマッチも日本のプロレスファンの間では「残酷ショー」、「あれをやってはおしまい」と否定的な声も多く、初回の10月8日、大阪府立体育会館のラッシャー木村vsドクター・デス(ムース・モロウスキー)を放送した後TBSに抗議の電話が寄せられ、以後は金網はテレビ収録の会場においてもノーテレビでした。

R木村は「金網デスマッチの鬼」としてポジションを確立しましたが、吉原功社長はグレート草津を「日本版チェーンデスマッチの鬼」として売り出すハラでいました。

福岡大会が行われた「ビッグ・サマー・シリーズ」は、本連載(21)、6月3日発売号に書いた通りの窮地に陥っていた時代で、国際プロレスの危機を知ったアンドレ・ザ・ジャイアントが前半1週間に特別参加。アンドレはモンスター・ロシモフとして70年1月に国際プロレスに初来日、この時、後から特別参加してきたAWAの帝王バーン・ガニアと運命的な出会いを果たし、72年にガニアの伝手でカナダ・モントリオール入りし、ビンス・マクマホン・シニアと契約、アンドレ・ザ・ジャイアントに改名して73年3月26日、MSGでバティ・ウォルフを9秒で降しました。

ビンス・シニアはアンドレをWWWF地区だけではなく、全米各地のテリトリーにブッキング、「世界を股にかける大巨人」を演出、この年の2月には新日本プロレスに来日しています。

アンドレになってからはこの5年後の79年7月にも国際プロレスに来ていますが、これは提携関係にあった新日本プロレスを介しての来日でした。アンドレが自分の意思で国際を救うために来たのはこの時1度だけ。「ビンスには俺が話しておいた、ハッハッハッ!」とあの野太い声で笑い飛ばしていたそうで、11月には新日本プロレスに2度目の参戦を果たしています。

この福岡大会では草津とザ・キラー(ベンジ・ラミレス)が金網チェーンデスマッチで対戦、64年4月の日本プロレス「第6回ワールド・リーグ戦」には全身包帯姿の「ミイラ男」ザ・マミーとして初来日、素顔でも72年に国際プロレスに来日している荒くれファイター。

デスマッチに慣れていたキラーは、左手首にチェーンをセットした状態でリングに登場すると、レフリーが草津の手首にチェーンをはめる前に草津に襲いかかり、草津の額にチェーンを振りおろし早くも流血に追い込む。セコンドがようやく2人を分け、草津の手首にもチェーンが装着されると、草津もようやく反撃。キラーの首をチェーンで絞めた草津は、ブレーンバスターで投げると、チェーンを自分の腕に巻きエルボードロップを決め、最後は15分33秒バックドロップでキラーをKOし、勝利を飾りました。

ただ日本では両手首にチェーンを巻いて動きが制限されるチェーンデスマッチはあまり受けず、デスマッチの主流になれませんでした。

流さんの「あの日あの時」第1回は2011年12月7日発売号の馬場&猪木組のBI砲、ザ・ファンクスに敗れインターナショナル・タッグ王座転落(71年日本プロレス札幌中島スポーツセンター)ですが、その1つ前の「BI砲が最後にタイトル防衛に成功した試合」が同じ71年7月1日、大阪府立体育会館でイワン・コロフ&ダッチ・サベージ組の挑戦を受けた一戦。

シリーズのエース格として来日したコロフは67年9月、日本プロレスにレッド・マックナティのリングネームで初来日していますが、WWWF入りしてロシアンギミックに変身、コロフに改名し71年1月18日、ニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノを破りWWWF世界ヘビー級王座を獲得したことで一躍スターダムに踊り出ました。(2月8日、MSGでペドロ・モラレスに敗れ転落)

コロフは6月29日、東京体育館で馬場のインターナショナル王座に挑戦しましたが2−1で敗退。この日はベテランのDサベージと組んでBI砲のインターナショナル・タッグ王座に挑戦。1本目は9分5秒に両チームリングアウト、2本目は4分26秒、猪木がコロフを体固めに決めて、馬場&猪木組が王座防衛に成功しています。

結果的にはこれがBI砲最後の王座防衛となりますが、この年の5月19日、大阪府立体育会館での「第13回ワールド・リーグ戦」優勝決定戦でアブドーラ・ザ・ブッチャーを破って優勝した馬場に猪木が「馬場さんはインターナショナルチャンピオン、僕はユナイテッドナショナルチャンピオン、どちらが強いか勝負しましょう」と挑戦を表明、日本プロレス協会会長、平井義一衆議院議員の裁定により「時期尚早」の判断が下されていますが、

馬場派と猪木派、日本テレビとNET(テレビ朝日)の派閥に日本プロレスも割れており、両者の間にはすきま風が吹いていて、この年の末に起きる猪木クーデター事件の顛末も起きるべくして起きたということが言えるでしょう。

※対戦成績は141戦29勝112敗、勝率206。
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