第133戦 4月28日発売号●【予想】「超獣コンビ」スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ組、世界最強タッグリマッチ優勝(83年全日本プロレス京都府立体育館)【正解】ヨーロッパ・ヘビー級選手権試合、ビル・ロビンソンvs豊登(68年4月30日国際プロレス東京体育館)【参考】2015年4月28日発売号はオープニング・シリーズ第2弾開幕戦、猪木&山本小鉄組vsザ・ラギット・ラシアンズA&B組(72年新日本プロレス千葉公園体育館)
【解説】スタン・ハンセンの全日本プロレス移籍により実現したハンセン&ブロディ組の超獣コンビ(またはミラクルパワーコンビ)は、82年2月20日、フロリダ州セントピータースバーグ・ベイフロントセンターで、両者が若手時代のオクラホマ、ルイジアナのミッドサウス地区以来約7年ぶりにタッグを結成、鶴田&天龍組と対戦し6分13秒、ハンセンが天龍をウェスタン・ラリアットからの体固めで仕留めました。
日本では同年4月の「グランド・チャンピオン・シリーズ」で国内初タッグを結成、4月20日、愛知県体育館で馬場&鶴田組の保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦し1−1の引き分けに終わっていますが、王者組は超獣コンビから1フォールも取れず、内容では完敗。
82年「世界最強タッグ決定リーグ戦」で初エントリーしたハンセン&ブロディ組は優勝の最有力候補と言われましたが、最終戦の12月13日、蔵前国技館でのドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスの最終公式戦でハンセンのウェスタン・ラリアットがジョー樋口レフェリーに誤爆、12分30秒、反則負けとなり「来年(83年)でテリーが引退」を表明しているファンクスが優勝となりました。
この結末に納得がいかない超獣コンビは翌83年「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�機弩緘樟錣如崟こ�最強タッグリマッチ」の開催を要求。前年暮れの最強タッグ上位3チームであるファンクス、馬場&鶴田組、ハンセン&ブロディ組の3チームによる2回総当たりリーグ戦が行われ、優勝チームには賞金10万ドルが贈呈されることになりました。
シリーズ最終戦、4月28日、京都府立体育館では最終公式戦、ファンクスに1時間切れ引き分け、1両リン、超獣コンビに1反則勝ちで3点の馬場&鶴田組と、ファンクスと1リングアウト勝ち1反則負け、馬場&鶴田組に1反則負けと2点のハンセン&ブロディ組が激突。
ファンクスは最終戦を待たずに馬場&鶴田組と1時間切れ引き分け1両リン、超獣コンビとは1反則勝ち1リングアウト負けの3点で公式戦を一足先に終了、京都大会の結果待ちでした。
京都大会の馬場&鶴田組vsハンセン&ブロディ組はパワーで超獣コンビが圧倒、13分9秒、ハンセンがウェスタン・ラリアットからの体固めで鶴田をフォール、勝ち点4を挙げて最多得点となり優勝をゲット。賞金10万ドルを手中に収めました。
ハンセン&ブロディ組はこの年の世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝、この世界最強タッグリマッチが翌84年に新設されたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦に繋がることになります。
68年1月にTBS体制で新たにスタートを切った国際プロレスですが、2シリーズ目の「ワールド・タッグ・シリーズ」で外国人ブッカーをしていたグレート東郷が、「約束通りのギャラが支払われない」としてダニー・ホッジ、アル・コステロ&ドン・ケント組のザ・ファビュラス・カンガルーズ、フレッド・カリー、ブルドッグ・ブラワーらの外国人勢をシリーズ中にも関わらず、強制的に全員引き上げて帰国させてしまいました。
外国人ルートを失った国際プロレスの吉原功社長は日本アマレス協会会長の八田一朗の伝手からイギリスのジョイント・プロモーションのジョージ・レスリコウを紹介してもらい、イギリスからトニー・チャールス、リー・シャロン、ジョン・フォーリー、ジョー・キーガンらが来日しました。
欧州路線2シリーズ目となった「日英チャンピオン決戦シリーズ」にビル・ロビンソンが初来日、開幕戦の4月3日、横浜スカイホールで来日第1戦を行ったロビンソンは木村政雄(ラッシャー)とシングルマッチで対戦、7分37秒、初公開となる「人間風車」ダブルアーム・スープレックスからの体固めで完勝。
ヨーロッパ・ヘビー級王者として来日したロビンソンは4月8日、山口県岩国市体育館でサンダー杉山の挑戦を1−1から両者リングアウトの引き分けで退け、シリーズ最終戦の4月30日、国際プロレス初開催となる東京体育館では豊登の挑戦を受けました。
特別レフェリーはあの力道山がプロレス転向を決意した51年9月、米進駐軍慰問の為に在日宗教団体、トリイ・オアシス・シュライナーズクラブの招きで来日したボビー・ブランズらと一緒に来日、63年1月には年老いた素顔を黒覆面で覆い隠し、ジ・エクスキューショナーとして来日した古豪アンドレ・アドレー。
1本目は14分39秒、ロビンソンがダブルアーム・スープレックスから体固め。2本目は7分25秒に豊登が逆片エビ固め。決勝の3本目は3分22秒、豊登の逆片エビ固めをロビンソンがロープにエスケープ、そのまま体勢が崩れて両者場外に転落。3分22秒、両者リングアウトとなり1−1でロビンソンの引き分け防衛となりました。
流さんは14年にベースボールマガジン社から発売された「忘れじの国際プロレス」の中で国際プロレス往年の名勝負ベスト10の中の7位にこのロビンソンvs豊登のヨーロッパ・ヘビー級王座戦を挙げておられ、個人的に思い入れの強い一戦だったと思います。
※対戦成績は133戦29勝104敗、勝率218。
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