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2017年11月09日23:04

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(207)

国際プロレスを放送していた東京12チャンネルの「国際プロレスアワー」ディレクターの田中元和(げんな)は日韓三軍対抗戦での結果を見て吉原功社長に厳しい言葉を浴びせていました。

「自局のエースであるラッシャー木村が日本テレビの全国テレビ中継に出て馬場や鶴田に負けるのは大きなイメージダウン」

当時毎週土曜日午後8時からの放送で「全国31局ネット」が売りだった日本テレビの全日本プロレス中継はネット局数ではテレビ朝日のワールドプロレスリングを遥かに凌駕していました。

田中氏にしてみれば、日本テレビと全日本プロレス、東京12チャンネルと国際プロレスの力関係は十分承知していたと思われますし、予算の関係から1会場で2回分の試合放送していた位ですから吉原社長が屈辱的なマッチメークを飲まざるを得ないのもある程度は仕方ないことは理解していました。

しかしながら、番組ディレクターという立場では苦言を呈さずにはいられなかったのです。

吉原社長の考え方は「ウチの選手の試合が日本テレビのネット局に乗って全国のファンに見てもらえれば営業的メリットがある」と田中ディレクターに反論。

つまり、馬場戦にしても鶴田戦にしても、R木村の実力負けではなく理不尽な判定による謀略めいた負けであり、判官びいきの日本人気質からして同情票がかなり集まるであろう、ということです。

74年12月2日にジャック・ブリスコを破り日本人初のNWA世界ヘビー級王者となったのを最後のピークとして馬場には衰えが目立ち、肉体的強さよりもインサイドワーク、リング外での政治力、権力の方が目立っていた馬場はプロレスファンからすると恵まれた立場に見えました。

猪木が「馬場挑戦」をぶち上げて74年にブレイクしたのはひとえに馬場という存在を利用したからで、同じ理屈でいけば馬場戦でのエプロン逆さ宙吊りや鶴田戦でのキム・ドクの乱入は馬場が仕組んだ陰謀であることは容易に想像がつき、クリーンイメージのR木村の好感度は上がる、という計算があったと言えます。

事実、三軍対抗戦の直後に開幕したビッグ・チャレンジ・シリーズは12戦しか興行が組めず、2月27日から3月5日の7日間興行がなかった事実があり、国際としては興行的にはかなり窮地に追い込まれていました。

プロレス誌には「五月雨シリーズ」と厳しい論調で書かれ、78年1月20日、大田区体育館大会(ザ・サモアンズ1&2号vsグレート草津、アニマル浜口組のIWA世界タッグ戦がメイン)の不入りに言及され営業の努力不足と書かれています。

そうなると吉原社長の言う日本テレビへのR木村登場はメリットがあったと思われ、4月6日、五泉市民会館で開幕のスーパー・ファイト・シリーズは24大会、さらに次のビッグ・サマー・シリーズは26大会と売り興行の数が増えました。

興行数が人気のバロメーターだった時代ですから現場サイドから見れば無料の宣伝効果はあった訳です。
ビッグ・サマー・シリーズ前には剛竜馬の退団問題はありましたが6月26日、大阪府立体育会館ではラグビー界から転身した原進がデビュー(寺西勇と15分時間切れ引き分け)。

シリーズ終了後は金一道場の招きで韓国遠征を行い、全日本プロレス勢抜きでの興行が行われました。東京12チャンネルがソウルで行われた2大会を放送。隣の韓国とは言え海外中継を自前でやったのはこれが初で、綱渡りながらも何とか国際プロレスは持ち直しました。
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