第135戦 5月20日発売号●【予想】馬場&坂口征二組「東京タワーズ」ザ・ファンクス破りインターナショナル・タッグ王座獲得(72年5月19日ロサンゼルス・オリンピック・オーデリアム)【正解】第1回MSGシリーズ決勝リーグ戦、猪木、藤波辰巳と初対決(78年新日本プロレス秋田市立体育館)【参考】2015年5月20日発売号はアメリカ修行中の鶴田がドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に初挑戦(73年ニューメキシコ州アルバカーキ)
【解説】今回は私が発売日より1日前倒しの72年5月19日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでの馬場&坂口組の東京タワーズのインターナショナル・タッグ王座獲得を予想(日本時間5月20日)。
前71年11月、猪木は公認会計士である木村昭政と共に、日本プロレスの幹部が会社の金で贅沢三昧をしており、また決算書に出ている5,000万円の仮払金の内容を開始させ、芳の里、遠藤幸吉といった「ダラ幹」を追放し、選手が報われる会社にしたいと改革に打って出ました。
馬場も当初は猪木の計画に賛同していましたが、野心家の猪木が日本プロレスの社長になるのでは?という疑念が残り日本プロレス側に寝返り。結局、上田馬之助が猪木の計画を芳の里に密告、猪木の日プロ改革は水疱に帰しました。
そんな中行われた71年12月7日、札幌中島スポーツセンターでの馬場&猪木組はドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組の挑戦を受けてインターナショナル・タッグ王座の防衛戦を行ないましたが、猪木は精彩を欠いた試合ぶりで2−1で敗れ王座転落。
翌8日、猪木は「尿道結石」を理由に代々木の小林外科病院に入院していますが、猪木の謀反を知った日プロと関わりの強い「その筋」(反社会的勢力)の人達から逃れる為の入院とも言われています。
猪木はUN王座、アジア・タッグ王座も剥奪され、僅か1週間で無冠になり、シリーズ最終戦の翌日の12月13日、日本プロレスは代官山の事務所で記者会見を行い、猪木を会社乗っ取りを企てたクーデター犯人として日プロを除名・追放処分したと発表しています。
ザ・ファンクスに奪われたインターナショナル・タッグ王座ですが馬場は坂口と「東京タワーズ」を結成、馬場209com、145kg、坂口196cm、130kgとスケールの大きなタッグチームが実現しました。
72年3月19日、ファンクスの地元、テキサス州アマリロ・スポーツアリーナで東京タワーズが初挑戦も1−1からノーコンテスト。
次いで第14回ワールド・リーグ戦終了後に再び渡米した馬場&坂口組は5月19日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでファンクスの王座に再挑戦。1本目は15分17秒にテリーが坂口を体固め。2本目は13分20秒に坂口がテリーを片エビ固め。決勝の3本目は4分27秒、馬場がドリーを体固めで破り2−1で馬場&坂口組がタイトルを奪回、ベルトを日本に持ち帰りました。
馬場&坂口組は6月8日、仙台・宮城県スポーツセンターでボボ・ブラジル&ボビー・ダンカン組、7月5日、札幌中島スポーツセンターでキラー・コワルスキー&ムース・ショーラック組をそれぞれ2−1で破り、2度の防衛を果たしていますが、7月29日、馬場が日本プロレスからの独立を表明してタイトルを返上しています。
馬場&坂口組の東京タワーズは活躍期間は短かったですが魅力あるタッグチームだったと思います。
新日本プロレスは78年からこれまで4回にかけて行われてきたワールド・リーグ戦に代わり、ニューヨークのWWWFとの提携強化による「MSGシリーズ」を春の本場所として開催。
猪木は予選トーナメント1回戦で坂口を2度に亘る延長戦の末、トータルタイム41分12秒でリングアウトで破り、2回戦では木戸修を破って決勝リーグ戦進出。
この年1月23日、ニューヨークMSGでカルロス・ホセ・エストラーダをドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で破りWWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得、3月に凱旋帰国しドラゴンブームを巻き起こした藤波辰巳もエントリーし、予選トーナメント1回戦では上田馬之助に反則勝ち、2回戦ではこのシリーズ、WWWFジュニア・ヘビー級王座を賭けて対戦したコロセオ・コロセッティを返り討ちにして決勝リーグ戦へと駒を進めました。
猪木vs藤波の待望の師弟対決が5月20日の秋田市立体育館で実現、残念ながらノーテレビでしたがブリッジワークの応酬などじっくりとした攻防を展開。11分43秒、「首の怪我からジャーマンが出来なくなった」と言われていた猪木が75年4月11日、会津若松市体育館での星野勘太郎との第2回ワールド・リーグ戦公式戦以来3年1か月ぶりのジャーマン・スープレックスホールドで藤波を破っています。
※対戦成績は135戦29勝106敗、勝率215。
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