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2026年05月19日07:10

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【特別編】マイティ井上さん追悼(284)

87年12月14日東京・新高輪プリンスホテルで、グレート小鹿(本名・小鹿信也、当時45歳)の引退記念パーティーが行なわれました。小鹿は85年のジャパンプロレス来襲の時期から試合数が減り、86年10月の「創立15周年記念ジャイアント・シリーズ」から欠場、87年は1試合も組まれていませんでした。

首の怪我は伝えられてはいましたが、体調不良ではなく、ジャイアント馬場夫妻との確執により「強制引退」させられたようです。

小鹿の著書と関係者から私が聞いた話から類推すると次のような理由でした。小鹿は85年10月、日本テレビ「全日本プロレス中継」が6年半ぶりにゴールデンタイムに復帰、日本テレビからの放映権料が上がったにも関わらず、自分達の給料が上がらない。若手の相談役でもあった小鹿は、若手からもそのような不満が出ていたことを気にかけており、馬場ではなく、日本テレビから出向していた松根光雄社長に「給料引き上げ」を直訴。

「松根さん、あんた全日本の社長なんだろ?社長だったら俺らと若い衆の給料上げて下さいよ」

これに松根社長が激怒「俺は日テレから頼まれて(全日本プロレスに)来てるだけなんだよ!そういう話は馬場君に言いたまえ、馬場君に!」と話し合いにもならず。松根社長は馬場を呼び出してこの件について叱責。

86年に元子夫人に呼び出された小鹿は「小鹿さん、松根さんが『来年は貴方と契約しない』って言ってたわよ。身に覚えがあるでしょ」と言われ、87年は選手契約更改されず、まだやれる体力と気力がありながら、人員整理の為にリストラされてしまった、ということのようです。おそらく、松根社長はレスラーの人事権などは関心がないはずで『小鹿をクビに』などとは言っておらず、馬場がこの件で恥をかかされたと元子を使ってクビ宣告をしたと考えるのが妥当かと思います。

また、当初12月11日日本武道館大会で行われる予定だった引退セレモニーは諸事情により延期されたとの発表がありましたが、これは小鹿が抵抗して拒否したという見方が出来るでしょう。当時はUWFもジャパンプロレスも既に興行活動を停止、10カウントゴングを叩かれてしまったらもはやリングに立つことは出来ない時代でした。

12月16日午後1時から後楽園ホールで「ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー」が開催され、薗田・合田(眞弓夫人の実家)両家のご遺族と全日本プロレスの全レスラーと関係者、ファン約800人が参列して行われた。

代表して馬場が弔事を読み上げ、「ゴリ君(薗田の愛称)、君は永遠に全日本プロレスの一員です。」とのくだりではポーカーフェイスとしてしたたかな一面を持っている馬場が堪え切れずに人目をはばからず大粒の涙を流したそうです。

追悼試合が行われ、ハル薗田メモリアルバトルロイヤルの出場選手はタイガーマスク、渕正信、仲野信市、高木功、百田光雄、サムソン冬木、川田利明、小川良成に加え、練習生で翌88年にデビューが決まっていた小橋健太(建太、当時20歳)、菊地毅(当時23歳)がプレデビュー、10人参加で争われました。

決勝は6分58秒、タイガーマスクが重量級の高木をジャーマン・スープレックスホールドで破り優勝しています。

全日本プロレス本隊対天龍同盟、タイガーマスク&仲野組vs冬木&川田組は15分時間切れ引き分け。第1試合の百田と小川のシングルマッチは6分44秒、逆エビ固めで百田がギブアップ勝ちを収めました
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