87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」は11月21日後楽園ホールで開幕。
参加チームはジャンボ鶴田&谷津嘉章組、スタン・ハンセン&テリー・ゴディ組、PWF世界タッグ王者チーム、天龍源一郎&阿修羅・原組、81年優勝チーム、ブルーザー・ブロディ&全日本プロレス復帰のジミー・スヌーカ組、77年世界オープンタッグ選手権、79、82年優勝チーム、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクス、ジャイアント馬場&輪島大士組、自身、そしてファン待望の全日本プロレス復帰となったアブドーラ・ザ・ブッチャー&TNT組、タイガーマスク&仲野信市組、ザ・グレート・カブキ&ジョン・テンタ組、トム・ジンク&ザ・ターミネーター組、ラッシャー木村&鶴見五郎組、マーク&クリスのヤングブラッド兄弟と過去最多となる12チームがエントリーしました。
前年度優勝チームの鶴田&天龍組は解散、準優勝チームのハンセン&テッド・デビアス組はデビアスのWWF入りでこちらも不参加となり、優勝、準優勝チームいずれもチームを解散したのは77年の世界オープン・タッグ選手権を起点とした78年の第1回大会以来初のことでした。
参加チームのプロフィールです。鶴田は谷津との「五輪コンビ」を結成しての参加。チームとしてはもちろん初参加、鶴田個人では10年連続10回目の参加で78、80、84、86年度優勝者。谷津は3年連続3回目の参加。鶴田は72年ミュンヘン五輪アマレス日本代表、谷津は76年モントリオール五輪日本代表、80年モスクワは日本のボイコットで幻の日本代表。鶴田は初めて自分と同タイプの選手と組んでの出場。
「柔と柔」のコンビ、スタミナには定評がある谷津がゲームメーカーとして試合を作り、鶴田がフィニッシュに出れば必勝パターン。唯一の欠点はチームを結成してから日が浅く、連係プレーには一抹の不安あり。
不沈艦ハンセンがパートナーに指名したのは2年7か月ぶりに全日本プロレスに復帰したブロディではなく、人間魚雷ゴディでした。両者は83年8月31日、蔵前国技館でのテリー・ファンク引退試合でタッグを結成(テリーのパートナーはドリー・ファンク・ジュニア)。しかしチームとしては単発に終わり、前86年9月11日には後楽園ホールでシングル対決(ハンセンの反則勝ち)と敵対関係にありましたが4年3か月ぶりにチームを再結成しました。
ハンセン個人では6年連続6度目の参加で83、85年優勝、ゴディ個人では2年連続2回目の参加となります。ある意味プロモーターである馬場の好みに合致したチームであり、ゴディがハンセンのパートナーとして元来のタッグ屋としての力量を発揮すれば優勝を狙えるチームと言えます。
今年度参加チーム唯一のタイトルホルダーチーム、PWF世界タッグ王者チーム、天龍&原組の龍原砲は82年以来5年ぶり3度目の参加、天龍個人では7年連続7回目の参加で84、86年優勝。原個人では3年連続6回目の参加。
過去2回(81、82年)は全日本プロレスの「第2チーム」的な位置付けであり、成績も下位であった龍原砲ですが、全日本プロレス活性化の元に決起しただけにチームのポジションは上がり、優勝候補の一角を占めるチームへと成長、天龍からすれば、最強タッグの優勝は天龍革命の中でも大きなミッションであります。
また、原も81年に国際プロレスの崩壊により全日本プロレスに移籍、天龍(81、82年)、マイティ井上(83年)R木村(85年)、スーパー・ストロング・マシン(86年)とパートナーを代えて参加、失踪していた84年だけが不参加ですが、前年はマシンの体調不良による途中棄権に終わっているだけに、天龍とのタッグで優勝して、ステータスを上げたいところです。
先の「創立満15周年記念ジャイアント・シリーズ」で2年7か月ぶりに全日本プロレス復帰を果たしたブロディはこちらも馬場の「恩赦」により82年10〜11月の「ジャイアント・シリーズ」以来5年ぶりに全日本プロレス復帰となったスヌーカとのタッグでエントリー。
ブロディは当初、カーネル・デビアース(エド・ウイスコスキー)とのチームで参加が発表されていましたが、11月19日午後、ブロディから港区六本木の全日本プロレス事務所に国際電話があり、「デビアースとは組まない。スヌーカと話がついたので、ブロディ&スヌーカ組で出る。」と連絡があり、開幕直前にブロディのパートナーがスヌーカへ変更された、ということでしたが、おそらくデビアースはダミーパートナーだったことでしょう。
ブロディ&スヌーカ組は81年の最強タッグに初参加、初優勝した史上初のチームでしたが、12月13日、蔵前国技館でのドリー&テリーのザ・ファンクスとの最終公式戦にセコンドに新日本プロレスに参戦していたハンセンが登場、試合に介入した為、そちらの方のインパクトが強烈で優勝が霞んでしまった感はありました。
翌82年4月22日、東京体育館でファンクスvsブロディ&スヌーカ組のリマッチが行われましたが、仲間割れをしてマネージャーのバック・ロブレイが入ってきてスヌーカを2人がかりで痛めつけました。
この時の仲間割れはスヌーカがWWFと長期契約をした為、全日本プロレスへのレギュラー参戦が難しくなった為のアングルであったと判明しましたが、当時はまだビンス・マクマホン・シニアが存命中であり、スヌーカは短期間での全日本プロレスへのスポット参戦を目論んでいました。アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガンが年間15週位、新日本プロレスに遠征していることを考えれば、同じように出来ると思ったとしても無理はないです。
が、WWFにブッキング料を払っていた新日本プロレスのオポジションに当たる全日本プロレスへの参戦のハードルは高く、7月の「サマー・アクション・シリーズ」をWWFのスケジュールを優先させてキャンセル、10月の「ジャイアント・シリーズ」終盤戦に特別参加し11月2日、愛知県体育館でブロディと遺恨試合を行いましたが、鶴田が乱入してノーコンテスト。(これをやっても客が怒らないのは、やはり全日本プロレスと新日本プロレスでは観る側の「本気度」が違うということでしょう。全日本プロレスのファンは一般的におおらか。)
この年の最強タッグにはハーリー・レイスと組んでエントリー、ハンセン&ブロディ組にリベンジする予定でしたがこちらもキャンセルとなり(レイスの代打にディック・スレーターが来日)、さすがに半年間に2度のキャンセルは馬場を怒らせ、以後は全日本プロレスには呼ばれず。
スヌーカはWWF経由で85年5月に新日本プロレスの「IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ」に特別参加、7月の「バーニングスピリット・イン・サマー」でこの年3月に新日本プロレスに移籍して来たブロディと日本で再会。
11月の「IWGPタッグ・リーグ戦」でブロディ&スヌーカ組はリーグ戦1位通過で12月12日、仙台・宮城県スポーツセンターでの決勝進出が決まっていましたが、東北新幹線で仙台に向かったものの、東京へ引き返して試合をボイコット。
ブロディは新日本プロレスから追放処分となりましたが(翌86年9月に一旦復帰も11月に決まっていた来日をキャンセル)、スヌーカは「ブロディについて行っただけ」ということで86年5〜6月の「IWGPチャンピオン・シリーズ」に再来日を果たしていますが以後は新日本プロレスから声が掛からず、1年半以上来日間隔が空いていました。
スヌーカは新日本プロレスに直接引き抜かれて行った訳ではありませんでしたが、85年12月に馬場が猪木、坂口征二とかわした「レスラー引き抜き防止協定リスト」に新日本側の選手として名前が載っており、今回、長州力以下長州軍団が新日本プロレスにUターンしたことで、ブロディ、ブッチャーと共に全日本プロレスに復帰が決定。
ハンセンとブロディが別々にチームを組んだことで、夢の超獣対決がこのリーグ戦で見られることになった訳です。
ドリー&テリーのザ・ファンクスは2年連続8回目の参加。テリーが一時引退していた83年と、WWFと契約していた85年の2回のみ、ドリーは馬場とのタッグで出場。テリーにとっては宿敵ブッチャーが帰って来るということで新たな闘争心に火がついた感じです。
83年7月、一時引退直前の「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�掘船謄蝓次Ε侫.鵐�さよならシリーズ〜」でテリーはブッチャーと入れ替りで新日本プロレスから移籍してきたタイガー・ジェット・シンとシングルで対戦(7月19日、大阪府立体育会館、10分15秒、テリーの反則勝ち)しましたが、やはり因縁がほとんどないシン、上田馬之助が相手では持ち味をフルに発揮出来たとは言えず。
やはりファンクスにはブッチャーがよく似合う、ということでしょう。またブロディ&スヌーカ組と5年8か月ぶりの対戦も楽しみです。
馬場&輪島組、ブッチャー&TNT組以下のプロフィールは次回お送り致します。
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