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2026年04月18日07:27

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【特別編】マイティ井上さん追悼(253)

87年全日本プロレス「創立満15周年記念ジャイアント・シリーズ」序盤戦最大のヤマ場、10月6日、日本武道館(テレビ収録、観衆11,800人満員発表)大会。私はこの興行は途中から生観戦しています。

先の「創立15周年記念サマー・アクション・シリーズ2」同様、シリーズの序盤戦にクライマックスを持って来ました。メインイベントは「鶴龍対決第二章」ジャンボ鶴田と天龍源一郎のシングルマッチ、ノンタイトル60分1本勝負。

8月31日同所での第1戦はエプロンの攻防で、天龍の全力のラリアットを喰らった鶴田が足をロープに絡めたまま逆さ吊り状態となり、21分35秒にリングアウト負け。天龍が大きな1勝ちを挙げています。

今回も一進一退の激しい闘いとなり、場外乱闘からエプロンに上がって来た天龍に先にリングに上がっていた鶴田が助走を付けてのジャンピング・ニーパット、これに天龍もラリアットで対抗、両者相討ち。

鶴田が場外に転落して天龍はリング内へ。その時に天龍のリングアウトカウントを数えていたレフェリーが鶴田のリングアウトと勘違いして天龍のリングアウト勝ちの裁定にしかけましたが、鶴田のセコンドがレフェリーに抗議。

レフェリーはミスジャッジに気づき試合続行。ミスジャッジに怒った鶴田がキレました。天龍にキック、パンチ、ヘッドバットと攻撃を続け、制止するレフェリーを突き飛ばしボディスラムで投げつけました。レフェリーはこれら鶴田の一連の攻撃を反則と捕らえ20分59秒、鶴田の反則負けとなりました。スコアの上では天龍が2勝、鶴田は手痛い連敗を喫しました。試合後、ブルーザー・ブロディが乱入、鶴田、天龍と乱闘となっています。

セミファイナルは6人タッグマッチ、ジャイアント馬場&輪島大士&ジョン・テンタ組とタイガー・ジェット・シン&ラッシャー木村&鶴見五郎組と対戦、輪島とテンタは初のタッグを結成。13分51秒、輪島がラリアットからの体固めで鶴見からフォール勝ちを奪いました。

ブロディが全日本プロレス復帰後2試合目にして東京の大会場に初登場、スポット&スパイクのザ・ムーンドッグスとのトリオでタイガーマスク&仲野信市&高木功組と対戦。

ブロディの第1次全日本プロレス参戦時(79年1月〜85年3月)には全日本は日本武道館で一度も興行を打っておらず、新日本プロレスに参戦していた時期も新日本プロレスは日本武道館大会は開催していないので、日本武道館にはこの時初登場。

また、日本側はジャパンプロレスの仲野が全日本のタイガーマスク&高木と越境トリオを結成。ジャパンのエース、谷津嘉章欠場中の出来事でしたがこのマッチメイクを見ても、馬場がジャパンの解体、所属選手の全日本への取り込みを狙っていたのは明らかでした。

試合はブロディが高木をドロップキックからジャンプしてのドリルアホール・パイルドライバーを決め8分2秒体固めでフォール勝ち。

ザ・グレート・カブキとジョージ・ワインゲロフのシングルマッチ。カブキは、コーナーポスト最上段から攻撃してきたワインゲロフの顔面へ毒霧を吹き掛けて倒れたところを2分8秒、体固めで勝利を収めています。

カブキは1月に全日本プロレス本隊に復帰、ジャパン軍団や天龍同盟を相手にハードな試合を展開、テクニシャンで実力者、高千穂明久の片鱗を見せるファイトをしており、フィニッシュもバックドロップを多用していましたが、久しぶりにギミックレスラーとしての本領発揮した勝利でした。

テリー・ゴディ&ニキタ・コロフ組は石川敬士&大熊元司組と対戦、4分21秒、ゴディが投げ捨て式パワーボムからの体固めで大熊を撃破しました。

天龍同盟対ジャパン、阿修羅・原&サムソン冬木組と寺西勇&永源遙組の一戦。原と冬木は国際プロレス時代の先輩後輩ですが、81年10月に全日本に移ってからは、ポジションの違いと、原が失踪から復帰した後は全日本本隊と国際血盟軍に別れていた為2人だけのタッグ結成は初。

相手チームに国際プロレス時代の2人の大先輩に当たる寺西がいるのも何かの縁でしょうか。試合は原が7分56秒、ヒットマン・ラリアットからの体固めで永源を降し、原&冬木組の勝利。
   
メキシコ勢のドクトル・ワグナー・ジュニア&アンヘル・ブランコ・ジュニア組はハル薗田&小川良成組と対戦。小川は日本武道館という大会場で今シリーズ3度目の外国人選手との対戦。11分48秒ワグナーJRが小川をムーンサルト・アタックからの体固めに決めています。

現在、You Tubeで公開されている木原文人リングアナウンサーのチャンネル、「木原オヤジのプロレス話そうぜ」にこの時練習生だった小橋健太(建太)が「ワグナーJRのムーンサルト・アタックがカッコよくて、お客さんから歓声が沸き上がっていたのを見たのがムーンサルト・プレスを使ってみようと思ったきっかけだった」とコメントしています。

小橋とルチャドールはあまり縁がない感じですが、シルバー・キングがワグナーJRとして全日本プロレスに来日したのはこの時一度きりであり(後に武藤敬司体制になってから兄のワグナーJRとのタッグで全日本に来日)、小橋がワグナーJRにムーンサルト・プレスをインスパイアされたのは間違いないかと思います。

全日本プロレス本隊対天龍同盟、マイティ井上vs川田利明のシングルマッチは10分17秒、両者リングアウトの引き分け。

第1試合の全日本対ジャパン、百田光雄と栗栖正伸のシングルマッチは11分2秒、百田の回転エビ固めを切り返した栗栖がエビ固めで逆転勝ちしています。

なお、この日、内臓疾患により長期欠場していたロッキー羽田(本名・羽田光男)の引退セレモニーが行われています。羽田は48年9月12日、北海道厚真町出身の当時39歳。大相撲花籠部屋から72年に日本プロレスに入門。

73年4月日本プロレス崩壊に際し「日プロ残党組」の1人として全日本プロレスに移籍、75年にアメリカ武者修行に出発、オクラホマ、カンザス地区で活躍しました。

77年5月に凱旋帰国、ロッキー羽田に改名し「和製アメリカン・ドリーム」のニックネームでメインイベンターの一角を担い、同年12月の世界オープンタッグ選手権には天龍との「ハンサムフレッシュコンビ」でエントリー。

79年8月26日、日本武道館での「プロレス夢のオールスター戦」では新日本プロレスの坂口征二とシングルで対戦し6分34秒、アトミックドロップからの体固めでフォール負け。その後は糖尿病等の内臓疾患に苦しみながらリングに立ち続けましたが、前86年後半から長期欠場となりました。

86年11月27日、地元北海道・函館市民体育館大会にスポット参戦し、M井上と組んでジャパンのアニマル浜口&寺西組と対戦、15分6秒、浜口の逆さ押さえ込みに敗れたのが現役最後の試合となりました。

引退後僅か4年後の91年10月27日、住居を構えていた長野県松本市内の病院で急性腎不全の為43歳の若さで亡くなっています。

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