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2026年01月31日08:19

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週プロ流智美あの日あの時予想2025年総括(25)

第396戦、6月25日発売号●【予想】恐怖の骸骨コンビがBI砲に挑戦、インターナショナル・タッグ選手権試合、ジャイアント馬場&アントニオ猪木組vsスカル・マーフィ&ブルート・バーナード組(69年日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】3本勝負の醍醐味をフルに魅せた珠玉の王座奪還戦、NWF世界ヘビー級選手権試合、タイガー・ジェット・シンvsアントニオ猪木(75年6月26日新日本プロレス蔵前国技館)

【参考】 2014年6月25日発売号は、絶対王者・馬場が黒い魔神に完敗!衝撃の王座陥落、インターナショナル選手権試合、ジャイアント馬場vsボボ・ブラジル(68年日本プロレス愛知県体育館)

【予想解説】日本のプロレス業界を席巻したジャイアント馬場&アントニオ猪木組のBI砲。67年10月31日大阪府立体育会館でビル・ワット&ターザン・タイラー組を破りインターナショナル・タッグ王座を初戴冠。翌68年1月8日広島県立体育館で行われる予定だったクラッシャー・リソワスキー&ビル・ミラー組との防衛戦では前日私用の為巡業を離れ、一人東京に戻った猪木は大雪の為に広島空港に着陸できず欠場。

代打として吉村道明が馬場のパートナーを務め、クラッシャー&Bミラー組と王座決定戦で対戦、1−1から両チームリングアウトに持ち込み、王座は空位のままで上手く事態を収束させました。

吉村のグッジョブに救われた猪木は次の日に詫びを入れて巡業に復帰、2月3日大田区体育館で馬場と組み、クラッシャー&Bミラー組を王座決定戦で破りBI砲は王座返り咲きを果たしています。

その後68年は、ディック・ザ・ブルーザー&ハーリー・レイス組、フレッド・ブラッシー&ターザン・タイラー組、カリプス・ハリケーン&マリオ・ミラノ組、レイ・スチーブンス&スカル・マーフィ組、ブルーノ・サンマルチノ&Rスチーブンス組、キラー・カール・コックス&カール・カールソン組、コックス&マッドドッグ・バション組(2回)、ジン・キニスキー&ポール・デマルコ組、キニスキー&ブルート・バーナード組を相手に10度の防衛に成功。

明けて69年1月3日蔵前国技館でウィルバー・スナイダー&ダニー・ホッジ組という強豪コンビに1−1から60分時間切れ引き分けで11度目の防衛に成功しましたが、1月8日広島県立体育館でのスナイダー&ホッジ組とのリターンマッチに敗れ、BI砲初の王座転落となりました。

2月4日札幌中島スポーツセンターでBI砲がスナイダー&ホッジ組に雪辱を果たし、3度目の戴冠、2月11日秋田県立体育館で、スナイダー&ホッジ組がリターンマッチを挑み、1−1から猪木が卍固めでスナイダーをギブアップさせ初防衛に成功、4度に亘るBI砲vsスナイダー&ホッジ組のインター・タッグ王座を巡る争いは全国のプロレスファンを熱狂させています。 

2月26日には大阪府立体育会館でザ・デストロイヤー&ブル・ラモス組を2−1で降し2度目の防衛に成功したBI砲。これまで馬場がエースで猪木が2番手という絶対的な序列がありましたが、この後に行われた「第11回ワールド・リーグ戦」で猪木がクリス・マルコフを卍固めで破って初優勝、馬場に肉薄しその距離をグッと縮めることに成功しました。

ワールド・リーグ戦終了後の「ゴールデン・シリーズ」に来襲したのがマーフィ&バーナードの「骸骨コンビ」。幼少期に猩紅熱に罹り全身無毛になってしまったマーフィとスキンヘッドで、頭以外は全身剛毛のバーナードの怪奇派タッグはプロレスファンに恐怖を与えました。「ゴング」69年8月号でマーフィとバーナードが頭蓋骨を咥えた表紙はインパクト大で、子供のファンにはトラウマになった人もいるのでは?

骸骨コンビは先ず5月31日札幌中島スポーツセンターでBI砲のインター・タッグ王座に挑戦。1本目は7分15秒に日本組の反則勝ち、2本目は6分48秒にマーフィが猪木を体固め、決勝の3本目は2分25秒、猪木がバーナードを体固めで破り2−1でBI砲が3度目の王座防衛に成功しましたが内容的にはBI砲にいいところはありませんでした。

そして6月25日大阪府立体育会館で両チームは再戦、1本目は10分38秒、猪木がバーナードをコブラツイストでギブアップさせ先勝、2本目は5分11秒、馬場がマーフィを体固めで破り2−0のストレート勝ちでBI砲がスッキリと4度目の防衛を果たしています。

マーフィ&バーナード組はこれが最後の来日となりました。マーフィは翌70年3月にノイローゼでピストル自殺(諸説あり)、39歳の短い生涯を終えています。バーナードは後に新日本プロレスのレギュラーになりますが、84年にマーフィ同様、63歳でピストル自殺しています。

【正解解説】73年5月に何の前触れもなく新日本プロレスのリングを襲撃したタイガー・ジェット・シン。73年11月5日には新宿・伊勢丹前で買物中の猪木、倍賞美津子さん夫妻を襲撃するなど狂気の沙汰を展開。74年6月26日大阪府立体育会館でのNWF世界ヘビー級選手権試合では、猪木がシンの右腕を折るという恐怖のアクシデントを生みました。

75年2月11日NWF本部はシンを挑戦者に指名して日本に送り込んで来ましたが、猪木は「挑戦者としての資格に欠ける」としてこれを拒否し、ニューヨーク州バファローにあるNWF本部に乗り込んでベルトを返上。

王者にベルトを返上されたNWFでは責任を取ってデビッド・ヘルマン(ディック・フェラルドマンと表記している文献も有り)会長が辞任。NWFでは特使として猪木の師匠であるカール・ゴッチを派遣、猪木にベルト返上を取りやめさせるよう説得にあたりましたが、猪木は「筋を通す」としてベルトは返上。その代わりシンと王座争奪二番勝負を行うことを了解しました。

第1戦は75年3月13日広島県立体育館で行われ、猪木がシンの秘密兵器ブレーンバスターからカウンターの凶器入りナックルパンチの前に19分26秒、体固めでフォール負け。「挑戦者としての資格に欠ける」シンに王座を奪われてしまいました。

3月20日蔵前国技館では新王者となったシンに猪木が挑戦。猪木はシンを鉄柱攻撃、ナックルパートで流血させ試合を有利に運びましたが、19分1秒、両者リングアウトで逃げられ、シンが初防衛。NWF世界王座は海外流失となりました。  

「第2回ワールド・リーグ戦」が終了するとすぐに猪木はカナダに渡り、75年5月19日ケベック州モントリオールのポール・サウベ・アリーナでタイガー・ジェット・シンのNWF世界ヘビー級王座に挑戦。

試合は60分3本勝負。1本目は7分18秒に猪木が逆さ押さえ込み、2本目は5分11秒にシンがコブラクローから体固め、決勝の3本目は3分47秒、猪木が反則勝ちとなりましたが、ルールによりタイトルの移動はなし

シンは6月の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」終盤戦に特別参加。「猪木の挑戦を受けるのはこれが最後」と表明、6月26日蔵前国技館で猪木と3度目のリターンマッチで対戦(60分3本勝負)。

1本目は10分41秒、猪木がジャパニーズ・レッグロールクラッチ・ホールド(回転足折り固め)で先制、2本目、シンの「虎の爪」コブラクローが猪木の左の喉に食い込み、喉から出血、新兵器アルゼンチン・バックブリーカーで無念のギブアップ負け。ギブアップというより意思表示もほとんど出来ないまま失神してしまったかのようでした。

決勝の3本目、シンのブレーンバスターからのフォールを返した猪木はバックドロップ、ドロップキック2連発、バックドロップと繋いで4分28秒、体固めで起死回生のフォール勝ち。NWF世界ヘビー級王座奪回に成功。

敗れたシンは手を上げて猪木の勝利を祝福しています。猪木vsシン戦の中でも最も名勝負との評価の高い一戦でした。

※対戦成績は396戦62勝334敗、勝率157。
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