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2025年09月09日07:13

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【特別編】マイティ井上さん追悼(88)

全日本プロレス86年「チャンピオン・カーニバル」4月12日は熊本市体育館(テレビ収録、観衆3,400人発表)大会。土曜日開催ですがこの日は3月31日の新潟県長岡市厚生会館大会(天龍源一郎vsテッド・デビアスのUNヘビー級王座決定リーグ戦他)が放送されており、後日(5月3日)放送となりました。

メインイベントはスタン・ハンセン&デビアス組のPWF世界タッグ王座にインターナショナル・タッグ王者チームである長州力&谷津嘉章組が挑戦。(インターナショナル・タッグのベルトは賭けられず)2年後の88年には統一戦が行われる両王座ですが、この時点では馬場はまだ2つの王座を並行して走らせていく構想だったのでしょう。

とはいえ、勝てばタッグ二冠王となる長州&谷津組はデビアスに照準を合わせてベルトを奪いにいきたいところ。両チームは前85年12月12日日本武道館における「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終公式戦で対戦し30分時間切れ引き分けに終わっており、決着つかず。

しかし、王者組は負傷している谷津の左足を集中攻撃してジャパン軍団の早い連携プレーを止めることに成功、ハンセンは自軍コーナー近くで痛めた谷津の左足を攻撃すると前85年12月29日、ニュージャージー州イーストルーサーフォード・メドーランズ地区ブレンダン・バーン・アリーナでリック・マーテルからAWA世界ヘビー級王座を奪った逆エビ固めを決めてグイグイと絞り上げていきます。

ハンセンのタッチを受けたデビアスも続けて逆エビ固め、王者組コーナーに近い為に長州はカットに入れない。ハンセン&デビアス組は交互に逆エビ固めを谷津に繰り返していきます。谷津は必死にロープエスケープしましたが王者組は谷津を離そうとせず。ブレイクしない王者組に腹を立てた長州が椅子を持ち出してハンセン&デビアス組に攻撃を加えて18分24秒、反則負け。

ハンセン&デビアス組が前85年8月31日両国国技館での鶴田&天龍組戦に次いで2度目の防衛に成功しました。内容的には長州&谷津組の完敗だった試合でした。

セミファイナルはUNヘビー級王座決定リーグ戦、天龍と阿修羅・原の注目の一戦。81年、新日本プロレスとの対抗戦で藤波辰巳との対戦が決まっていながら、「ヘビー級の俺が何でジュニア(当時)の藤波とやらなくちゃいけないんだ」と試合をキャンセルして、故郷長崎に帰っていた原でしたが、「俺と大してキャリアの変わらない天龍が全日本所属というだけで(リック)フレアー(のNWA世界ヘビー級王座)に挑戦出来るのはおかしい。天龍は俺とやって勝ってから(フレアーに)挑戦しろ!」と突如ターゲットを天龍に変えて全日本プロレスヘ参戦した原は10月2日後楽園ホールで天龍と対戦、互角の試合で両者リングアウトとなり、この試合を見て原を高く評価した馬場は原を全日本プロレスに入団させました。

天龍&原組が結成され、81年と82年の世界最強タッグ決定リーグ戦にエントリーしましたがいずれも下位に。84年、天龍がUNヘビー級王座に就くと、原は4月11日大分県立荷揚町体育館、4月16日後楽園ホールと連続して天龍の同王座に挑戦。大分では両者リングアウト、後楽園では天龍の丸め込みに敗れましたが、観客からは高評価を受けました。

失踪後、フリーの立場として長州、天龍に狙いを定めていくことをアピールした原は85年6月28日後楽園ホールで天龍とノンタイトルで対戦、荒れた試合で14分37秒、ノーコンテストとなりましたが、いずれにしてもタフガイ同士、豪快な攻めを見せる原と受けっぷりの良い天龍の試合は好試合となりました。それ以来のシングルマッチでの激突。

原は天龍をオクラホマ・スタンピート狙いか肩に担ぎ上げると天龍は空中で必死に抵抗、これでバランスを崩した原はロープに身体を打ち付けて転倒、そこを天龍が身体を浴びせて押さえ込んでの片エビ固めでカウント3が入りました。フィニッシュとしては84年4月16日後楽園ホールでのUNヘビー級選手権試合と似た感じになりましたが天龍が難敵原からピンフォール勝ちを収め、2勝1時間切れ引き分けの5点、原は1勝1敗1両リンの2点。

全日本対カルガリー・ハリケーンズ、ジャンボ鶴田&タイガーマスク&ハル薗田組vsスーパー・ストロング・マシン&ヒロ斉藤&高野俊二組の6人タッグマッチは15分17秒、マシンが薗田を魔神風車固めでフォールしハリケーンズに軍配が上がりました。

全日本対国際血盟軍、馬場&石川敬士組vsラッシャー木村&鶴見五郎組は9分33秒、馬場が16文キックから鶴見を片エビ固め。

キラー・カーン&アニマル浜口組のジャパン軍団とオレイ・アンダーソン&ロン・バス組は9分8秒、ジャパン軍の反則負けとなりました。

全日本対ジャパン、サムソン冬木&渕正信組と小林邦昭&保永昇男組は12分10秒に両チームリングアウトの引き分け。全日本同士のグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビvsマイティ井上&ロッキー羽田組は12分57秒に大熊が羽田をエビ固めに丸め込んでのフォール勝ち。

第1〜第3試合は全日本対ジャパンのシングルマッチ、小川良成と仲野信市は8分18秒、キャメルクラッチで仲野がギブアップ勝ち。このあたりは「ヤングライオン風」勝ち方。百田義浩と山本英俊は8分23秒、バックドロップからの片エビ固めで義浩が勝ち、百田光雄と佐々木健介は8分19秒、同じくバックドロップからの片エビ固めで光雄が勝利を収め、ベテラン百田兄弟がジャパンの新人を粉砕して見せました。

86年4月13日東京・永田町のキャピトル東急ホテルにおいて記者会見が行われ、第54代横綱、輪島大士(本名輪島博、当時38歳)のプロレス転向、全日本プロレス入団が発表されています。

輪島は1948年1月11日、石川県七尾市出身、高校時代より相撲を始めて持ち前の強靭な足腰と高い身体能力でたちまち頭角を現し、日大相撲部主将として学生横綱となり大相撲花籠部屋に入門。

70年初場所に幕下付出でデビューし71年に新入幕。大関貴ノ花(先代)とのライバル関係は「貴輪(きりん)時代」と呼ばれて一時代を築きました。73年夏場所、大関で全勝優勝を果たして場所後に横綱に推挙されています。

横綱昇進後は後からスピード出世で21歳の若さで史上最年少横綱(第55代)となった北の湖との「輪湖(りんこ)時代」を迎えました。北の湖が大型のアンコ型体型で倒した対戦相手を引き起こしたりを決してしないことや、強過ぎる横綱ということでヒール的ポジションにおり、筋肉質で力士としては理想的だった輪島はベビーフェイス的人気がありました。

「黄金の左」と言われた左からの下手投げはまさに相手をバッサリと「二つ折り」にしてしまう位の威力を誇り、大関・若三杉から第56代横綱となった2代目若乃花はよく輪島の下手投げの餌食となっていました。

また、幕下時代からリンカーンを乗りまわし、本場所休場中にも関わらずゴルフをするなどトンパチぶりも遺憾なく発揮。14回の幕内優勝を果たしていますが、「真面目に稽古すればもっと優勝できたはず」とその才能とセンスを惜しむ声は多かったです。

81年春場所中に33歳で引退、年寄「花籠」を襲名し先代花籠親方(元大ノ海)の娘である中島五月さんと結婚し(後に離婚)部屋持ち親方として後進の指導にあたりましたが、従来のルーズな金銭感覚は治らずギャンブルで借金を作り、また、実妹が経営していた料亭が潰れそうになると借金をして、担保に年寄株を差入ていたという日本相撲協会始まって以来の珍事で85年に相撲協会を解雇処分となっていました。

輪島の借金が原因で五月夫人は自殺未遂、先代花籠親方未亡人が首吊り自殺を図るなど不幸な出来事が重なりました。

輪島のプロレス入りですが、同じ学生横綱から花籠部屋に入門し、幕内までいきましたが廃業してプロレス入りした元大ノ海(2代目)の石川敬士のタニマチが花籠部屋と共通のタニマチで、タニマチを通じて石川に打診があり石川から馬場に話がいって実現に至りました。アントン・ヘーシンクのような日本テレビがお膳立てした形でのプロレス入りではありませんでしたが、日本テレビも前85年10月に「全日本プロレス中継」が6年ぶりにゴールデンタイムに復帰したものの、局側の期待した視聴率最低目標15%に届かず苦戦しており、てこ入れの為にゴーサインをも出したものでした。

記者会見にはプロレスの師匠となる馬場も同席。席上輪島は「裸になって裸になったのだから、また裸になって出直すしかない」と決意をコメント。この意味は裸(相撲取り)になって裸(資産を剥がされたの意)になってしまったからまた裸(プロレスラー)になって出直す、ということでした。

とはいえ、当時の38歳という年齢、現役を引退してから5年というブランクを考慮すると「無謀」という声が強く、決して期待されたプロレス転向ではありませんでした。

そんな中、輪島のプロレス入りを報じた4月15日付(14日発行)の東京スポーツでは日本テレビ「全日本プロレス中継」解説者である山田隆が記事を書き「輪島にジン・キニスキーを見た」と輪島の風貌と現役時代のイメージから元NWA世界ヘビー級王者、「カナダの荒法師」キニスキーをダブらせ、タフなファイターになって欲しいと期待を込めています。

キニスキーは66年1月7日ミズーリ州セントルイスでルー・テーズを破りNWA世界ヘビー級王者となり69年2月11日、フロリダ州タンパでドリー・ファンク・ジュニアに敗れるまで3年1か月、王座を守り、日本でも馬場のライバルとして幾多の激闘を展開した名レスラーですが、

フットボール上がりで決して多彩な技を持っていた訳ではなく、キチンシンク、シュミット式バックブリーカー、ジャイアントスイング、バックドロップだけで試合を組み立てていましたが、無尽蔵のスタミナと打たれ強さを誇っていました。

東スポはプロレスに批判的な記事は書けない立場にありますが、流石に輪島とキニスキーではレベルが違い過ぎてキニスキーに失礼にあたる記事と私は思いました。
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