06年5月27日草加市スポーツ健康都市記念体育館で内藤哲也がデビュー、翌5月28日後楽園ホールでは垣原賢人が頚椎の負傷で引退、引退試合は金本浩二とのエキシビションマッチ5分1本勝負で時間切れ引き分けとなりました。
7月17日札幌月寒グリーンドーム(観衆3,955人発表)ではIWGPヘビー級王者ブロック・レスナーに棚橋弘至が挑戦する予定でしたが直前で来日をキャンセル。
新日本プロレスからの発表ではレスナーにビザの不備があったとのことでしたが、5月まで毎月のように来ていたレスナーだけにこれはいささか不可解で、猪木の横槍か、ギャラアップの要求を新日本プロレスが拒否した、あるいはレスナーが世界では無名の棚橋に負けてベルトを落とすマッチメークをレスナーが拒否した、のいずれかと考えるのが妥当でしょう。
IWGP実行委員会ではレスナーの王座を剥奪、当日ワンナイトによる王座決定トーナメントが行われました。棚橋とジャイアント・バーナードは1回戦シード。(1、2回戦は30分1本勝負、決勝は60分1本勝負)
1回戦第1試合は天山広吉と曙の一戦、天山は曙の顔面にヘッドバットを打ってグラつかせ、モンゴリアンチョップを打ちましたが、曙も逆モンゴリアンでお返し、エルボードロップは自爆。曙はコーナーに天山を詰めるとコーナースプラッシュはかわされます。
天山はダイビング・ラリアット、ダウンした曙にコーナーポスト最上段からのスーパーフライ、これでは曙は倒せず、ロープに飛んできた天山を曙はスクラップバスターからジャンピング・ボディプレス、6分55秒、体固めで曙がフォール勝ちし2回戦に進出しました。
1回戦第2試合は永田裕志とトラヴィス・トムコの対戦、永田はコンディションが良く序盤からキックで圧倒、トムコに腰を痛めつけられあわやの場面も見られましたが、トムコのセントーンを自爆させると一気にバックドロップホールド、7分48秒、カウント3が入り、永田が2回戦に駒を進めています。
2回戦第1試合は全日本プロレスのリングでも対戦したバーナードと曙の一戦。リングを降りれば2人は仲が良く、バーナードは曙に大きな身体を利用しての動き方、見せ方を親身になってアドバイスしていました。
ゴングと同時に激しいぶつかり合いを見せるバーナードと曙、曙は倒れたバーナードにジャンピング・ボディプレスを見舞いましたが、これは読まれて自爆、バーナードば曙のバックを取ると足を取ってのスクールボーイ、4分46秒、エビ固めでバーナードが丸め込みのフォール勝ちを収め、決勝進出を決めました。
2回戦第2試合は棚橋と永田が激突。既に1試合終えている38歳のベテラン永田が嵩にかかって攻め立てます。バックドロップ、コーナーに詰めての串刺し式ニーアタック、棚橋はこれを凌ぐとジャーマン・スープレックス、スリングブレイド、ドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で反撃。
永田も「ミスターIWGP」と言われただけあってしぶとい、張り手からハイキック、垂直落下式ブレーンバスターからのサンダーデス・ドライバー、カバーに入りますがカウント2で棚橋はクリア。
永田のバックドロップ・ホールドを切り返した棚橋はスイング・ネックブリーカードロップ、永田のフロント・ハイキックをスウェーバックでかわした棚橋は絡みついてコブラツイスト、さらにグラウンド・コブラツイストに移行して13分46秒、カウント3が入り棚橋に軍配が上がりました。
トーナメント決勝は棚橋とバーナードの一騎討ち、バーナードのセコンドについたトムコがちょっかいを出しタイガー服部レフェリーに退場させられました。それでもバーナードの優位は変わらず、コーナースプラッシュ、リバーススプラッシュ、ボルドーボムと大技を連発。
棚橋はバーナードライバーを切り返すとドラゴンスリーパー(飛龍裸絞め)で反撃に転じ、エルボーアタックからジャーマン・スープレックス、スリングブレイド、いずれもカウント1でバーナードに返されてしまいます。
バーナードライバーの際、持ち上げられた棚橋の足と服部レフェリーが接触してしまいダウン、その間にスリングブレイドを決めてカバーに入りますがレフェリーダウンでカウントは入らず。その間、退場させられていたトムコがリングサイドに入ってきてバーナードに椅子を渡します。
椅子を振り上げたバーナードに棚橋はドロップキックで椅子ごとぶち抜きました。椅子の角で頭を切ったバーナードは流血、棚橋はコーナーポスト最上段からの雪崩式スリングブレイド、さらにもう一発正調スリングブレイドを決め、17分44秒、片エビ固めで棚橋がフォール勝ち。念願の第45代IWGPヘビー級王者となりました。
三代目ベルトはレスナーが所持しており、棚橋は前05年7月18日同じ月寒グリーンドームで藤田和之が橋本真也の遺影に捧げた二代目IWGPベルトを手にしました。
この一戦が新日本プロレスの暗黒時代を抜け出すターニングポイントになった試合と言え、観客がすぐに増えた訳ではありませんがじわじわと動員を増やし、ユークス体制の元、安定してくることになります。
新日本プロレスの暗黒時代は多くの離脱者を出し、その結果、衣食住の面倒と巡業を行う従来の「団体」形式は固定経費がかかりすぎる、と縮小化、試合だけを開催する「○○プロレス」とは名ばかりの個人プロモーションが増加する傾向を生み出しました。(新日本プロレスの暗黒時代を振り返る、は今回で終わります。)
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