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2024年03月31日21:20

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ストロング小林さん追悼(642)

80年国際プロレス「ビッグ・サマー・シリーズ」第2戦、6月29日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,100人満員発表)大会。私はこの興行は会場で生観戦しています。

3月31日、国際プロレスの後楽園ホールで行なわれたIWA世界タッグ選手権試合、マイティ井上&アニマル浜口組に新日本プロレスの木村健吾&永源遙組が挑戦した一戦(61分1本勝負)。

5分過ぎ、木村健のプランチャを場外で受けた浜口は後頭部を強打してダウン、立てなくなりました。床溢れていたビールに足を滑らせてプランチャを受け損ねた、という報道もありますが、私はこの日、北側で生観戦しておりその場面を正面から見える位置にいましたが確認出来てないです。

セコンドにリングに上げられた浜口でしたがダウンしたまま動けず、レフェリーの遠藤光男は直ちに試合をストップしないといけない事態でしたが、止めずに、攻撃を加える新日組にカウントを入れるのみ。痺れを切らした新日組が遠藤レフェリーに暴行を加えて11分30秒、国際組の反則勝ちとなり、M井上&浜口組が11度目の防衛を果たしました。

この試合で失神した浜口は脳震盪を起こしており、次期「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」を欠場、ベルトは返上されました。 

6月29日、後楽園ホールで行なわれることになった王座決定戦、新日本プロレス側はジュニア・ヘビー級に専念することを表明した木村健に代わり、元国際プロレスのエースでIWA世界ヘビー級、同タッグ王座を保持していたストロング小林を投入、永源と組んで新日本代表チームとして出場させると発表。

S小林は、猪木との「昭和巌流島の決闘」から丸6年、北米タッグ王者からも外され、藤波辰巳、長州力の後塵を拝するようになっていました。

S小林は後日この件について「正直、やりたくはなかった、僕は新日本プロレスの役員だったから断ることも出来たんだけど、開き直って逆に対抗戦を楽しんでやろうと思ったね」と心中を語っています。

国際プロレス側の前王者浜口は4月12日〜5月16日開催の「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」を全休、6月28日、福島県大越町体育館(テレビ収録、観衆2,000人満員発表)での「ビッグ・サマー・シリーズ」開幕戦で復帰、メインイベントでラッシャー木村とのタッグでスパイク・ヒューバー&ジプシー・ジョー組と両チームリングアウトで引き分けていましたが、国際プロレスでは体調不安もあり代打に実力者、寺西勇を起用、M井上とのテクニシャンコンビで新日本プロレス勢を迎え撃ちました。

国際プロレスのエースでありながら退団して猪木に挑戦して敗れ、団体のイメージを悪くしたとしてS小林に怨念抱くM井上は気合を入れた当たりの強い攻撃を仕掛けていきました。レフェリーは4月に現役を引退して6月に新日本プロレス審判部長に就任した山本小鉄。

1本目は13分18秒、フライング・ショルダータックルからサマーソルト・ドロップ2連発でM井上がS小林を体固め。スロースターターのS小林にこれで火が付いたか、2本目は3分50秒、ブレーンバスターからの体固めでM井上をフォール。この辺りは体格の違いによるパワーの差が出たようです。

決勝の3本目、場外乱闘でジプシー・ジョーとロッキー・ブリュワーが乱入、国際勢に手を出しました。その隙にS小林と永源がリングに上がり、4分、リングアウト勝ち。2−1でS小林&永源組が王座獲得。第22代王者チームとなりました。

国際勢はレフェリーの小鉄に抗議しましたが、「外国人は新日本プロレスとは無関係で加担した訳ではない」とはねつけて判定は覆らず。

S小林は国際プロレス所属時代の73年4月18日、土浦スポーツセンターでグレート草津と組んで王者だった時代、イワン・コロフ&マッドドッグ・バション組に敗れて王座転落して以来、実に7年2か月ぶりの王座返り咲き、初代(&豊登)、第8代(&草津)に次いで3度目の同王座戴冠を果たしています。
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