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2023年08月24日22:38

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ストロング小林さん追悼(484)

【注】実際に参戦したメンバーとは一部異なりますが時系列で書いていきますのでご了承下さい。

79年新日本プロレス夏の陣「サマー・ファイト・シリーズ」は6月29日、埼玉県大宮スケートセンターで開幕。創立7周年イヤーも下半期に突入していきます。

初来日のクレイジー・レロイ・ブラウン、ウィリエム・ルスカ、ジョージ・スチール、トニー・ロコ、ウルトラマンの外国人レスラーがシリーズ全戦参加。

後半戦特別参加がローラン・ボック、ウィルフレッド・デートリッヒ、シン・リーガンのヨーロッパ勢。他に外国人ヒールサイドとしてマサ齋藤がシリーズ全戦参加します。

エース格となるLブラウンは本名ローランド・C・ダニエルズ、1950年11月30日ジョージア州サバンナ出身当時28歳。195cm、140Kg。均整の取れた巨体を誇る。

学生時代よりフットボールに熱中。NFLのニューヨーク・ジェッツを経て、77年にプロレスラーとしてデビュー。日本でも人気の高いシンガーソングライター、ジム・クローチ のヒット曲 「Bad Bad Leroy Brown」(邦題「リロイ・ブラウンは悪い奴」)をそのままリングネームに、バッドバッド・レロイ・ブラウン(日本ではレロイ表記)を名乗り、超大型の黒人ヒールとして売り出されました。

デビュー当時はフリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス東部のダラス地区を主戦場に、78年3月31日、キラー・ブルックスと組んでホセ・ロザリオ&アル・マドリル組からNWAテキサス・タッグ王座を獲得。また、ブルーザー・ブロディともスーパーヘビー級同士の超肉弾戦を展開し観客を湧かせました。

その後新日本プロレスと親密関係にあるロサンゼルス地区に登場、79年4月26日にオリンピック・オーデトリアムでチャボ・ゲレロを破ってNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得しています。(チャボが長期の日本遠征に出る為にベルトを明け渡したもの)

そのLブラウンも、新日本プロレスから坂口征二、藤波辰巳、長州力が遠征してきた6月15日のオリンピック・オーデトリアム大会でテキサス時代から因縁のあるマドリルに敗れ無冠で来日しています。

新日本プロレスとしては先の「第2回MSGシリーズ」に来日し怪物化、ブレイクした29歳のスタン・ハンセン同様、荒削りながら将来に繋がるヒール外国人を迎え撃つこととなり、果たして新日本プロレスのスタイルにLブラウンが馴染み、ポテンシャルを発揮してレギュラー外国人の座を掴むか期待も大きいです。

「オランダの赤鬼」ルスカは創立7周年記念「ビッグ・ファイト・シリーズ」2月27日、大田区体育館大会のみ1試合だけ出場、星野勘太郎を腕ひしぎ十字固めで破って以来4か月ぶりの来日、今回は柔道スタイルは封印。完全に外国人ヒールサイドとしての参加だけに、どのような悪党ファイトを見せることが出来るか?

新日本プロレス初登場となる「鋼鉄ゴリラ」ジョージ・”ジ・アニマル”・スチール。WWFで長年に亘って活躍しているベテランの大ヒール。

本名ウィリアム・ジェームス・マイヤース、1937年4月16日、ミシガン州デトロイト出身の当時42歳。74年7月、全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」以来5年ぶり通算3度目の来日。

ジ・アニマルの異名通り、スキンヘッドに全身剛毛の狂獣系ヒールとして一時代を築いた怪奇派レスラーの大御所であり、その後数多くのヒールレスラーがスチールのパフォーマンスを参考にしています。

ミシガン州立大学を卒業後、ミシガン州マディソンハイツで高等学校の体育教師をしていましたが、その一方で地元デトロイト地区のプロモーターだったバート・ルビーに師事し、60年にプロレスラーとしてデビューする。当時は教員を続けながら学校の長期休暇時にアルバイト的にリングに上がり、素性を隠すためにゲーリー・ハートをマネージャーに全身コスチューム姿のマスクマン、ザ・ステューデント(生徒の意)と言う人を食ったリングネームで試合を行っていました。

その後、マスクを脱いでクレイジーファイターのジョージ "ジ・アニマル" スティールに変身を遂げ、ハイスクールでアメリカンフットボールとレスリングの非常勤コーチを務めつつ、本格的にプロレスラーに注力。

67年からニューヨークのWWWFに進出。68年5月20日には、ニューヨーク・MSGにおいてブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦しています。

71年7月、日本プロレスの「サマー・ビッグ・シリーズ」に初来日、ポジションは中堅でしたが馬場、猪木と対戦。クリス・マルコフ、ジャック・ブリスコ、ビクター・リベラ、アート・マハリック、グレート・イゴール(イゴール・ボディック)らと一緒でした。

タイトルへの挑戦はなかったものの、7月24日、前橋・群馬県スポーツセンターでは猪木とノンタイトルノのシングルマッチ45分3本勝負で対戦し2−1で敗れ、7月30日、岡山武道館ではマルコフと組んで馬場&猪木組のBI砲とも対戦ししています。

2度目の来日が74年7月、全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」で、ミル・マスカラス、ダニー・ホッジ、ボブ・ループ、サンディ・スコット、初来日時のボブ・バックランドと一緒。マスカラスと稀代のシューター達の間で1人異彩を放っていました。

7月11日都城市体育館ではテレビ収録マッチのメインイベントで馬場とシングルマッチ60分1本勝負で対戦、16文キックからの片エビ固めでフォール負け。

アメリカ修行でヒール経験も豊富なサンダー杉山との対戦が最も多く組まれ、シリーズ最終戦の7月25日、日大講堂でのシングルマッチは杉山に奪われた凶器で殴られてフォール負けしていますがなかなか面白い試合で、新日本プロレス参戦時の映像は残ってないですが、この時の杉山戦だけは日テレジータスの「プロレスクラシック」にアーカイブが残されています。

中堅ヒールながら、時折思い出されたかのようにMSGのメインイベントに起用され、前74年7月24日にはバックランドのWWWFヘビー級王座に挑戦。エビ固めに丸め込まれて敗れています。

日本プロレス来日時、坂口は2度目のアメリカ修行中で未対戦、藤波、長州、ストロング小林とも初対決となります。(この項続く)
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