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2023年06月15日21:53

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ストロング小林さん追悼(414)

78年新日本プロレス最終シリーズ「プレ日本選手権」は11月17日、後楽園ホールで開幕。

真の日本選手権実現に向けて新日本プロレスがフリーの日本人レスラーの軍団である「狼軍団」を交えてリーグ戦を行い、先ずは優勝者を決定、そして翌79年には全日本プロレス、国際プロレスのレスラーとの日本選手権を実現すべく動いていくというものでした。

この頃既に猪木は「馬場挑戦」を口にしてはおらず、唐突に「日本選手権」を冠としたシリーズが組まれた感は否定出来ませんが、同時期に国際プロレスが同趣旨の「日本リーグ争覇戦」を開催しており、国際プロレスを取り込む目的で組まれたというのは、その後の日本プロレス界の動きを見ると理解出来ます。

予選リーグ戦参加選手は新日本プロレスからは坂口征二、藤波辰巳、ストロング小林、長州力、星野勘太郎、山本小鉄、木戸修、永源遙、狼軍団からは上田馬之助、マサ齋藤、剛竜馬、サンダー杉山の12人。予選シードで決勝トーナメントから参加が欧州遠征中の猪木、狼軍団の「首領」であるヒロ・マツダも猪木と同格に扱われて予選はシード。

予選リーグ戦は30分1本勝負、○勝ち□不戦勝5点、◇反則勝ち☆リングアウト勝ち4点、△時間切れ引き分け、両者リングアウト2点、●◆★■あらゆる負け▲無効試合、没収試合0点で争われ、予選リーグ戦上位8人と猪木、マツダを加えた10人で決勝トーナメントが行われ、シリーズ最終戦の12月16日、蔵前国技館で優勝決定戦が行われます。  

リーグ戦とは別に11月30日、広島県立体育館では藤波のWWWFジュニア・ヘビー級王座に剛が再挑戦。7月27日、日本武道館大会の再戦となります。

また、12月14日、大阪府立体育会館大会にWWWFヘビー級王者、ボブ・バックランドが1日のみ特別参加、猪木の挑戦が決定。WWWFヘビー級選手権試合初の大阪開催、6月1日、7月27日の日本武道館で完全決着がついていない両者が3度目の決戦となりました。

国際プロレスの「日本リーグ争覇戦」と比較すると「狼軍団」は5人しかおらず実力者揃いとはいえ、別に事業をしていてセミリタイア状態の杉山まで引っ張り出さないと頭数が揃わない「プレ日本選手権」の方が質量共に見劣りしてしまったのは事実。

全日本プロレス、国際プロレスとは敵対勢力でフリーの日本人レスラーとの付き合いが少なかった当時の新日本プロレスでは外敵を5人集めるのが精一杯だったでしょう。

全日本プロレスとの興行戦争ですが、全日本プロレスは選手を貸出していた国際プロレスの「日本リーグ争覇戦」修了後、12月1日、後楽園ホールから前年度に爆発的人気を呼んだ「世界オープン・タッグ選手権」の後継シリーズとして「世界最強タッグ決定リーグ戦」をこの年よりスタートさせました。

世界オープンタッグ選手権優勝チームのドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクス、馬場&鶴田組、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組、AWA代表、現AWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルがブラックジャック・ランザと組んで全日本プロレス初登場。欧州代表ビル・ロビンソン&ワイルド・アンガス組、大木金太郎&キム・ドク組の6チームが参加。

後楽園ホールは共に開幕戦、新日本プロレスが11月17日、全日本プロレスは12月1日。大阪府立体育会館は全日本プロレス先攻で12月5日、新日本プロレスが12月14日。蔵前国技館も全日本プロレス先攻で12月9日、新日本プロレスが1週遅れの12月16日、珍しい土曜日決戦。全日本プロレスは最終戦は蔵前ではなく12月15日、札幌中島スポーツセンターで開催です。

開幕戦の前週、11月10日の「ワールドプロレスリング」の最後に「プレ日本選手権」の予告Vが流された時に、当時全日本プロレス所属だったアメリカ遠征中の高千穂明久がテレビ朝日の画面に登場し話題になったことに触れておきます。

フロリダのテレビスタジオのような場所からマツダ、M齋藤、剛が登場し、次期シリーズに向けアピールするものでしたが、その中にミスター・サトのリングネームでM齋藤のパートナーとしてフロリダとWWWFで活躍していた高千穂が堂々と映り込み、視聴者には高千穂も新日本プロレスに上がるのか?と誤認識を与えかねない印象を受けました。

開幕戦の11月17日、後楽園ホール(テレビ生中継、観衆2,000人発表)大会。新日本プロレスの後楽園ホール大会開催は76年8月27日以来実に2年3か月ぶりのこと。

日本テレビ、後楽園スタジアムの関係から72年の新日本プロレス旗揚以降、ノーテレビ時代は1度も使用せず、初開催はNETの放送がついた73年7月6日。以後同年は7月20日、10月26日の3回。74年が最多で1月18日、2月22日、4月5日、7月11日、8月30日、10月25日、11月8日の7回。

75年は5月30日、7月4日の2回のみに激減し、76年は2月27日、5月28日、7月9日、8月27日の4回で以後開催なしでした。

毎シリーズのように開催している全日本プロレス、日本プロレスの妨害でなかなか使用出来なかったものの、日本プロレス崩壊後は徐々に開催頻度が増えていき、ほぼ毎シリーズ開催していた国際プロレスに比べ、新日本プロレスの使用頻度は元々少なかったものの、これほど間隔が開いたのは稀なケースです。翌79年以降は徐々に使用回数が増加していきます。

開幕戦はテレビ生中継でしたが、前半が11月9日、西ドイツ・フランクフルト・フェストホールでの猪木vsカール・ミルデンバーガーの異種格闘技戦が放送されました。

当時まだ自宅にビデオデッキがなかった私は会場に行きたい気持ちもありましたが、猪木vsミルデンバーガーを見る為にテレビ観戦にしました。

フランクフルトからの放送が終わり、CMを挟んでカメラが後楽園ホールに切り替わり、いきなり山本小鉄vs上田馬之助の公式戦からスタート。小鉄が場外の上田めがけ、コーナーポストからダイビング・ボディアタック、しかし上田はこれを受けずに小鉄は自爆。

割れたビール瓶を持ち出した上田は小鉄の額をビール瓶で一撃すると小鉄は大流血。カウンターの凶器攻撃から僅か2分10秒で体固めでフォール勝ち。

上田は5点獲得。試合後、救急車で運ばれた小鉄は以後の予選リーグを負傷棄権となりました。

続いてセミファイナルの藤波と杉山の一戦は6分57秒、藤波が回転エビ固めで勝利、藤波は5点、杉山は0点。

メインイベントは坂口vsM齋藤の明大同期の桜対決。試合の途中で放送が終了してしまった為、最後迄見ることは出来ませんでしたが、場外でM齋藤が仕掛けたバックドロップをコーナーの鉄柱を蹴ってかわした坂口が15分22秒、リングアウト勝ちしています。坂口は4点、M齋藤は0点。

テレビ生中継には入らなかった注目の一戦、S小林vs長州の公式戦が開幕戦から組まれ、場外戦から先に生還したS小林がエプロン越しのブレーンバスター、さらにフィニッシュとしてS小林はバックドロップを狙い長州を担ぎ上げました長州がコーナーマットを蹴り同体で共倒れ。

すかさず長州がカバーに入って14分43秒、カウント3が入りS小林のフォール負け、長州は5点獲得、S小林は無念の黒星発進。

小林は9月19日、大阪府立体育会館でのタッグマッチでの藤波に続いて、長州にもフォール負けをしてしまい、これ以降、新日本プロレス内でのポジションは5番目となっていきます。

新日本プロレスは、時として、こういう残酷なマッチメークが突如行われることがあります。(この項続く)
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