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2023年06月13日21:37

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ストロング小林さん追悼(412)

78年全日本プロレス「ジャイアント・シリーズ」10月25日、北海道・小樽市総合体育館(テレビ収録、観衆6,800人超満員発表)大会では馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ選手権にアブドーラ・ザ・ブッチャー&ボボ・ブラジル組の黒人最強コンビが挑戦。

1本目は馬場がブラジルを片エビ固め、2本目は日本組が反則勝ちとなり、反則含みながら馬場&鶴田組が2−0のストレート勝ちで4度目のタイトル防衛。54歳となっていたブラジルの衰えが目立った一戦でした。

防衛に成功した馬場&鶴田組の師弟コンビ10月30日、長野県上田市民体育館(テレビ収録、観衆4,200人超満員発表)大会で前王者チームである大木金太郎&キム・ドク組の挑戦を受けました。(シリーズ前の発表では小樽大会終了時点での王者チームに大木&ドク組が挑戦となっていた)

1本目は大木が鶴田を体固め、2本目は鶴田が大木を体固め、決勝の3本目は鶴田がドクを片エビ固めに決めて鶴田が1人で大木、ドク両方からフォール奪って2−1で馬場&鶴田組が5度目の防衛を果たしました。

鶴田が獅子奮迅の大活躍でしたが、一方で76年10月の初対決から丸2年経過し、日韓師弟コンビの対決もマンネリ化し、そろそろクロージングを思わせる結果になりました。

今シリーズ、東京の大会場での開催はありませんでしたが、後楽園ホール大会は10月6日の開幕戦と、11月3日(テレビ収録、観衆2,500人満員発表)と2回行われました。2回目の後楽園大会のメインイベントはUNヘビー級王者、鶴田とPWFヘビー級王者ブッチャーのノンタイトル60分1本勝負で、15分25秒、鶴田が反則勝ちしています。どうせならPWFとUNのダブル・タイトルマッチをやればよかったと思いましたが、まだこの時点でPWFヘビー級王座は「馬場のベルト」というイメージで鶴田のUNヘビー級とは同格には扱えなかったのでしょう。

メインイベント終了後に特別試合として行われたヘビー級バトルロイヤルでは伏兵大熊元司がドクを決勝で降して優勝しています。

ブッチャーがPWFヘビー級王座に就いたことで馬場が挑戦を表明し、シリーズ終盤戦の11月7日、東大阪市中央体育館(テレビ収録、観衆3,500人発表)大会でタイトル戦が急遽、実現。1本目は馬場が体固め、2本目はブッチャーが体固め、決勝の3本目は両者リングアウトとなり1−1の引き分けでブッチャーが初防衛に成功、馬場は73年の初代王者戴冠から6年目にしてシングル無冠で越年となりました。

シリーズは最終戦が11月9日、愛知県豊橋市体育館で、35日間に30戦行われました。

地方興行では絶対的看板であるブッチャーの招聘でシリーズは活気づき、豪華な外国人レスラー同士のPWFヘビー級タイトル戦は久留米、宇都宮という中規模会場を超満員にしました。

東京の大会場や大阪府立体育会館、愛知県体育館、福岡九電記念体育館、札幌中島スポーツセンターでの開催はありませんでしたが、インターナショナル・タッグ選手権試合が行われた小樽、上田もよく入っており、タイトルマッチの地方分散開催は戦略としては上手くいったと言えます。

新日本プロレスの「闘魂シリーズ」よりは盛り上がったと思います。人気面では全日本プロレスが上回りました。

一方、ストロング小林も関わってくる国際プロレスの吉原功社長プロレス生活25周年記念「日本リーグ争覇戦」は11月3日、栃木県大田原市民体育館(テレビ収録、観衆1,200人発表)大会で開幕。

ABブロック別総当たりリーグ戦として行われました。Aブロック参加選手はグレート草津、マイティ井上、プロフェッサー・タナカ、ミスター・サクラダ、ミスター・ヒト、大熊元司、ロッキー羽田、梁承揮(後の力抜山、ストロング・マシン2号)。

Bブロック参加選手はラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇、鶴見五郎、ディーン・ホー、キム・ドク、グレート小鹿、石川孝志。

決勝トーナメントより出場が鶴田と大木(結局は棄権)特別レフェリーとしてジャック・クレイボーンが来日。

全日本プロレスが全面協力、ナンバー2である鶴田が予選リーグ戦をシードされ決勝トーナメントより参加する他所属が小鹿、大熊、羽田。76年10月に天龍源一郎の「床山」としてアメリカに渡り、凱旋帰国が所属の全日本プロレスではなく、国際プロレスのリングに外敵として上がるサクラダ、表向きはフリーで外国人ヒールサイドとして参戦しているが、実際は全日本プロレスの契約レスラーとなっていたドクが参加。

さらに、元幕内力士、最高位西前頭四枚目で輪島の後輩の学生横綱だった元大ノ海の石川。石川は糖尿病の悪化を理由に77年名古屋場所を最後に大相撲を廃業しましたが、同年10月31日にフリーでプロレス転向を表明。

これは、天龍、元トンガ力士の福ノ島(プリンス・トンガ、キング・ハク)と相撲界から相次いで全日本プロレスへと入団したことから、日本相撲協会との関係悪化を避ける為に表向きフリーにしただけでアメリカ修行ルートもテキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニア、カンザスのパット・オコーナーからコーチを受けるなど全日本プロレスのルートに乗ってのプロレス入りで、1年間の修行のもとに凱旋帰国となりました。

そこへ新日本プロレスの選手も上げたいと言われては、馬場にしてみれば不快なこと極まりない話でした。

しかし、この「日本リーグ争覇戦」が全日本プロレスと国際プロレスの最後の提携となり、吉原社長は新日本プロレスとの提携に舵を切るのでありました。そのきっかけを作ったのは他ならぬ元国際プロレスのエースだったS小林ということになる訳です。

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