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2022年04月22日05:41

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ストロング小林さん追悼(106)

ストロング小林のWWWF地区武者修行後半戦振り返りです。74年9月25日、メーン州バンゴーで対戦して勝ったアーノルド・スコーランは力道山時代の62年日本プロレスの「第4回ワールド・リーグ戦」にルー・テーズ、フレッド・ブラッシー、マイク・シャープ、バディ・オースチンらと一度だけ来日、成績は1勝11敗と最下位でしたが(猪木とは対戦なし)、WWWF発足前からニューヨーク地区で活躍していた中堅であり、引退後もWWWFの重鎮としてボブ・バックランド、アンドレ・ザ・ジャイアントのマネージャーとして新日本プロレスに来日しています。

トニー・ガレア&ディーン・ホー組は前WWWFタッグ王者チーム。前73年11月14日にペンシルバニア州フィラデルフィアでプロフェッサー・タナカ&ミスター・フジ組の日系ヒールコンビを倒して同王座に就くも、74年5月8日、ペンシルバニア州ハンブルクで「吸血兄弟」ジミー&ジョニーのザ・バリアント・ブラザーズに敗れ転落。しかしこの時点でもベビーフェイス側のトップタッグチームでした。

ホーはディーン樋口のリングネームで66年10月の東京プロレス旗揚げ「ビッグマッチ・シリーズ」に参戦しており、ラッシャー木村(木村政雄)、寺西勇、マンモス鈴木らとは一緒のツアーに出ていますが、翌67年国際プロレスデビューの小林とは一緒になっておらず。また、ホーとしては78年11月の国際プロレス「日本リーグ争覇戦」に参加、小林が友情参戦した11月25日、蔵前国技館で一度だけ日本では同じリングに上がっています。

10月に対戦して負けている「黒い核弾頭」ビクター・リベラは73年9月以降、新日本プロレスのレギュラー外国人となり、76年4月の「第3回ワールド・リーグ戦」では、テレビ生中継の4月30日、北九州市小倉区三萩野体育館で公式戦で対戦し、小林がリベラをパワーで圧倒しながら、回転エビ固めで逆転負けを喫しました。

リベラはWWWFでもブルーノ・サンマルチノ、ペドロ・モラレスに次ぐポジションのベビーフェイスだった為、勝つのは難しかったでしょう。

10月6日には、ニューヨークMSGに2回目の出場、キラー・コワルスキーと組んでアンドレ&リベラ組に敗れていますが、国際プロレスでしのぎを削った者同士が「マット界の檜舞台」MSGのリングで対戦。しかし世界の大巨人として出世を遂げたアンドレには敵わず。3月19日、蔵前国技館での猪木戦の時は同じ西の支度部屋におり、言葉をかわしたか?

ちなみに3月19日、蔵前国技館の支度部屋に国際プロレス時代から私生活では親友関係にあるマイティ井上がアンドレを訪ねて来場していますが、多分に裏切者である小林を偵察しに来た可能性大です。

10月8日、ペンシルバニア州スクラントンで対戦のインディアンレスラー、チーフ・ジェイ・ストロンボーはジョー・スカルパのリングネームで日本にプロレスに来日、78年の新日本プロレス「MSGシリーズ」でストロンボー名義で来日、予選トーナメントは勝ち抜き決勝リーグ戦に進出しましたが、全敗に終わりました。小林はこの時期、逆にWWWF地区に遠征に来ておりすれ違いでした。

10月12日、マサチューセッツ州ボストンガーデンではKコワルスキーと組んでゴリラ・モンスーン&アンドレ組に負け。ビンス・マクマホン・シニア、フィル・ザコと並ぶWWWFの運営会社「キャピタル・レスリング・コーポレーション」のプレジデント。超大物の1人です。

初来日は力道山時代の63年3月「第5回ワールド・リーグ戦」にジノ・マレラのリングネームで登場、コーネル大学レスリング部主将を務めた実力者。モンスーンに改名してからは66年10月、69年4月、72年3月に日本プロレスに登場、この年の5月に全日本プロレスに参戦したばかり。サンマルチノと同じ馬場寄りで全日本に外国人をブッキングしていました。

さて、小林はマスコミを通して「猪木への再挑戦」をアピールしていましたが、10月10日、蔵前国技館での猪木vs大木金太郎のNWF世界ヘビー級選手権試合の勝者に年内に挑戦することは決定的でした。

9月28日、豊登、元日本プロレス代表の芳の里、ユセフ・トルコ、九州山義雄ら日本プロレスOBが連名で、「猪木vs大木、小林の勝者は馬場と闘え」と声明文を出しています。真の実力日本一を決めるべく、日本選手権の開催を、とアピール。新日本プロレスの新間寿の策略だと見抜いていた馬場はこれを黙殺。

9月30日、新宿・京王プラザホテルで猪木vs大木によるNWF世界ヘビー級選手権試合の調印式が行われています。レフェリーは2人の兄弟子にあたる豊登。試合は時間無制限1本勝負。豊登は「決着がつくまでやらせる、両者リングアウトなどは認めない。場外に出たらワシがリングに上げてやる。」と3月の小林戦同様、事実上のデスマッチを宣言しました。

そして迎えた決戦当日、10月10日、蔵前国技館は3月19日の小林戦同様、前売券は全て売切れ、当日券を求めて地下鉄蔵前駅位まで長蛇の列が出来、消防法ギリギリまで入れての16,500人(超満員札止め)の大観衆が集結。

セミファイナルでは坂口征二がニコリ・ボルコフを破りいよいよメインイベント大木は白地に赤で原爆のキノコ雲が書かれたガウンで入場、猪木は小林戦同様、エビ茶色に富士山に日の出、「闘魂」と金の刺繍の入ったガウンで入場。試合前に、この一戦の勝者にアメリカから小林が帰国して挑戦すると発表されました。

既に次期「闘魂シリーズ第2弾」の日程は新聞、雑誌に掲載されており、最終戦の12月12日、蔵前国技館が最有力。

試合前のボディチェックでガウンをまだ脱いでいなかった大木に猪木はゴング前に先制のパンチ攻撃、不意を突かれた大木はダウンしました。大木は立ち上がって一旦コーナーに戻ってから試合開始のゴング。大木のフットワークは良くない。やはり試合前の猪木の先制パンチが効いているか。

静かな攻防、猪木は大木を倒して上腕を使って顔面の頬骨の辺りをゴリゴリと擦るエグいカール・ゴッチ直伝の喧嘩殺法、スタンドでのリバースフルネルソンからのダブルアーム・スープレックスが決まったが何回か書いている通り、猪木の人間風車は上手くない。

大木がついにヘッドバットの連発、場外に転落する猪木、大木は「ウォー!」と叫んで見栄を切ります。上がってきた猪木の額からは鮮血が…。小林戦に次いで大木戦も流血試合となりました。 

猪木の髪の毛を掴んで頭突きを打ちまくる大木、猪木は自分の額を指さして「もっと打ってこい」と拳を握って耐えていきます。長年、昭和の「ワールドプロレスリング」のオープニングVTRで流され続けてきたお馴染みのーンです。この時の猪木は本当にカッコいい!

大木は一本足原爆頭突き、さしもの猪木もこれにはたまらずダウン、起き上がって来たところを大木はトドメの一本足原爆頭突きにいこうと振りかぶったところ、猪木は下からのカウンターのエルボー、これは効きました。ダウンした大木にボディスラム、バックを取ってのバックドロップからすかさずカバー。レフェリーの豊登はカウント3。大木は3つ入ったところで足を跳ね上げましたが肩は上がっておらず、13分13秒、体固めで猪木がフォール勝ちを収め、6度目の王座防衛に成功しました。

試合後、長年の恩讐を超えて抱き合う両者、猪木の目からは涙が。NETの三浦智和アナウンサーのインタビューでも「つい、涙が出ました」とコメント、後は言葉になりませんでした。

60年4月10日、力道山に連れられてブラジルから帰国、3年ぶりに日本の土を踏んだ猪木は日本プロレスの合宿所に17歳で入所、同部屋の1年先輩が韓国から来た大木でした。力道山は猪木を「ブラジルから連れてきた日系二世」と対外的に紹介していました。

「アナタ、ブラジル人、ワタシ、朝鮮人、仲良くしましょう」と言ってくれた大木は、猪木を風俗店に連れて行ったり面倒をみてくれました。60年9月30日、台東体育館での猪木のデビュー戦の相手が大木で、7分6秒、逆腕固めで大木の勝利。同日デビューの馬場正平は田中米太郎(桂浜)を5分15秒、股裂きでギブアップさせてデビュー。

以来14年、タッグを組んだり団体を離脱したり、確執もありましたがやはり猪木にとって大木は「お兄ちゃん」的な存在でした。猪木、馬場、大木の「日本プロレス若手三羽烏」には我々他人が知ることが決して出来ない特有の感情があると思います。

大木を撃破したことで、小林と猪木の再戦がいよいよ浮上。10月25日、後楽園ホールで開幕した「闘魂シリーズ第2弾」、11月1日、札幌中島スポーツセンター(テレビ生中継、観衆9,000人超満員発表)では猪木は3月21日、オハイオ州クリーブランドでスッキリしない結果に終わったアーニー・ラッドとNWF世界ヘビー級王座防衛戦を行いました。

1本目は17分5秒、猪木がバックドロップから体固め、2本目は7分42秒、ラッドがスパイダーキックから体固め、決勝の3本目は10分26秒、猪木がラッドの206cmの長身をボーアンドアロー・バックブリーカー(弓矢固め)にガッチリ捕らえてギブアップさせ、2−1で7度目の防衛を果たして、クリーブランドでの決着をつけました。

この時点で12月12日、蔵前国技館での猪木vs小林のNWF世界ヘビー級選手権試合が正式に決定。

帰国が決まった小林は11月に入り元WWWFへビー級王者モラレスと対戦して敗戦。11月2日、マサチューセッツ州ローウェルでは新日本プロレスへの参戦から戻って来たボルコフ&Kコワルスキーとトリオを結成、ブラッシーもマネージャー復帰しモラレス&ガレア&ホー組と対戦して負け。テリトリーを離れることが決まると負けが込んでくるのは業界の掟なので仕方ないところです。

11月18日、ニューヨークMSGに3度目の出場でモラレスに敗れたのが今回のWWWF地区でのヒール修行の総仕上げ、いよいよ、小林は帰国の途に着き、再び打倒・猪木に向けて邁進していくことになります。
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