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2021年08月02日05:54

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ジャンボ鶴田怪物伝説(834)

一方、長州力以下選手が知らされていない部分で、フロント間では水面下で様々な話し合いが行われています。86年9月3日、大阪城ホール大会後に馬場と竹田勝司ジャパンプロレス会長が会談を持ちました。

馬場は「興行数が増えても経費で利益が上がらない状況をどうすべきか」を竹田会長にぶつけたところ、竹田会長は何と、「長州、谷津嘉章以外はいらない、アニマル浜口以下はリストラする」と馬場に話したと言います。

竹田会長は「選手が増えて飽和状態になってから試合時間も短く組み立てるようになって試合の質が落ちてしまっている」として、大塚取締役や選手らに注文を出すようになっていました。これは興行を買ったジャパン系、つまりは旧新日本プロレスの興行を買っていたプロモーター達からの不満の声と受け取っていいでしょう。

特にテレビ生中継の土曜日は放送が午後7時からであり、試合開始は午後6時。そうなると、放送開始までの1時間以内に6〜7試合を終えておかなくてはなりません。とは言え、土曜日に「週休二日制」はまだこの時代採用している企業は稀で、良くて「半ドン」、通常業務を行っている会社の方が圧倒的に多かったです。よって試合開始を午後6時より前にするということは現在とは違い、無理がありました。

前期ゴールデンタイム時代(72年10月〜79年3月)、また日本プロレス時代、テレビ朝日の新日本プロレス「ワールドプロレスリング」などは生中継の時も午後6時30分試合開始の午後8時放送で放送開始まで1時間30分ありますが、今回は試合開始から放送開始まで1時間しかなく、この30分の差が多いばかりか、全体の試合数は8〜9試合。

ジャパンが全日本に来た当時は12試合位が経常的に組まれており、馬場−竹田会談が行なわれた86年9月当時は外国人メンバーも少なく呼んでいましたが、それでも10〜11試合は組まれており、30分の時間差、2試合分の時間を勘案すれば、試合時間を短くするより他ありません。しかし、竹田会長の「リストラ発言」は結局見送られ、ジャパンの選手は以後のシリーズも通常通り試合に出ることになります。

リストラ発言の真意は、「浜口以下を契約解除する」ではなく、「長州と谷津は常時出場、他は前半後半交代など出場する選手を減らすことで試合内容を良くする。」でしたが、竹田会長の発言はすぐ様選手の知るところとなり、ジャパン内部に大きな動揺を与え、金銭のことだけでなく、試合内容にも口を出してくる竹田会長に対する不信と不満がをますます募らせていきました。

ジャパンプロレスに内紛の兆しが出てきた状況の中で、馬場が永源遙を通じて長州と谷津に対してジャパンを通さずに、直接契約することを持ちかけて来ました。

永源はジャパンの選手会長を務めており、マッチメイクその他で馬場とジャパンの連絡役になっていましたが、永源の地元であり、これまで新日本プロレスが常時満員にして来た金沢・石川県産業展示館大会を開催して超満員にして見せ、営業力の強さとスポンサー人脈の豊富さを馬場に評価されてからは、全日本寄りの人間になり始めていました。(但し、永源人脈には反社会的勢力も含まれており、後にプロレスリング・ノアになってから問題化する。)

馬場は永源を通じて長州を含めた選手らと竹田会長と大塚の間で亀裂が生じていることを知らされ、竹田・大塚ラインでは長州を押さえることが出来ないと判断、長州は条件次第で新日本プロレスに寝返る、もしくはスポンサーが付けば独立する危惧があるところから、馬場自身が長州と直接契約で押さえにかかろうとしていました。

このあたりは新日本プロレスがUWF勢と直接契約をかわして懐柔しようとするやり方と一緒でした。

これを知った竹田会長と大塚が馬場と会談して、馬場に長州らと直接交渉しないように約束させ、従来通りジャパンプロレスとの提携は継続、長州に代表権を持たせて(これまでは代表権を持っていたのは竹田会長と大塚、長州は取締役社長という名ばかり社長だった)社内での発言力を強めさせ、竹田・大塚ラインとのコミュニケーションの改善を図る為に、渋谷の旧ジャパン本社内にあった長州の芸能活動をマネジメントする「リキプロ」を池尻大橋のジャパン本社に移転させることで事態はどうにか収拾させたものの、危険分子である長州を抑制させることは厳しくなって来ていました。

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