第124戦 ●2月26日発売号【予想】世紀の理不尽判定、ラッシャー木村、馬場戦での不可解なリングアウト負けにテレビ放送席でアピール(78年国際プロレス後楽園ホール)【正解】遠藤光男レフェリー、リング上にて入団挨拶(同日同所)【参考】2014年2月26日発売号はアジア・タッグ選手権試合、坂口征二&吉村道明組vsハーリー・レイス&スプートニク・モンロー(72年日本プロレス大阪府立体育会館)
【解説】国際プロレスのリングで同じ日に起きた出来事。これより4日前、2月18日、蔵前国技館で行われた全日本プロレス、国際プロレス、韓国・金一道場による日韓三軍対抗戦のメインイベントで馬場と75年12月17日、オープン選手権千葉公園体育館以来のシングルマッチを行ったR木村ですが、馬場の足4の字固めを喰らい、技が解けずエプロンに上半身を出してブレイクを狙うも頭からリング下に宙吊り状態で、特別レフェリー、芳の里によりリングアウト負けにされてしまいました。
どう考えてもロープブレイクにすべき場面で非情にも負けを宣告されてしまったR木村はホームリングである国際プロレスの「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」第2戦、2月26日、後楽園ホールでメインイベントでマイティ井上と組んでキラー・ブルックス&ザ・カサバブ組と1−1から両チームリングアウトで引き分けた後、東京12チャンネル(テレビ東京)の放送席にやって来て、マイクを持ちながら18日の馬場戦がいかに不本意な判定で敗れたかを延々とアピールし始めました。
後年のマイクパフォーマンスの鬼となる遥か前の話で、寡黙なイメージだった時代R木村がここまで話すのは見たことがありませんでした。
この年で国際プロレスと全日本プロレスの関係は切れてしまいますので、国際プロレスが存続している間には両者の再戦は行われず、次にシングルで対戦したのはそれから7年4か月後の85年6月21日、全日本プロレス日本武道館大会となります。
同日、国際プロレスにレフェリーとして入団したボディビル元ミスター・ユニバース、アームレスリング日本チャンピオンの遠藤光男が、レフェリーとしては異例となるリング上での入団挨拶を行いました。
国際プロレスはホイッスルで有名だったチーフレフェリーだった阿部脩が前77年7月に行われた参議院議員選挙に出馬の為に退団(落選)、元プロボクサー、元プロ野球選手(トンボユニオンズ)の前溝隆男が退団し、マンモス鈴木とレスラー兼任の若松市政(ショーグン・KYワカマツ)だけになってしまい、人材が不足していましたが、
この年、営業部だった貫井温昭が暫定的にレフェリーに転向しましたが、営業の仕事が多忙であり、遠藤を入団させたものです。遠藤はリング上で上半身裸になり得意のポージングを披露、アメリカンフットボールのユニホームをモチーフとした逆三角形の身体のシルエットがハッキリとした黄色いTシャツと白のスパッツで人気を集めました。
観客席からは「何だ、レフェリーが一番いい身体してるじゃないか」という野次が浴びせられたものです。
遠藤は日本アームレスリング協会の会長を務め、錦糸町で「遠藤光男トレーニングセンター」を開業しておりそちらの収入もあった為に、給料遅配の多かった国際のレスラーに食事を奢ることもあったようです。
対戦成績は124戦25勝99敗、勝率202。
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