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2021年01月08日21:58

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(2)

第118戦 1月15日発売号●【予想】力道山、インターナショナル王座生涯唯一の反則負け防衛、vsジム・ライト(60年日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】猪木、海外修行中の一戦、vsマッド・ラシアン(65年オレゴン州ポートランド)【参考】2014年1月15日発売号はスタン・ハンセン、全日移籍第1戦、vs阿修羅・原(82年全日本プロレス木更津市倉形スポーツ会館)

【解説】58年8月27日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでルー・テーズを破りインターナショナル王座を獲得した力道山は63年12月15日、暴力団員に刺された傷が元で王者のまま急逝しますが、その生涯19回(20回説もあり、詳しくは本日記2018年5月23日発売号分をご参照頂けると幸甚です)の防衛戦の中で唯一、「反則負け」による王座防衛があります。

それが60年1月15日、大阪府立体育会館で「アリゾナの殺人鬼」ジム・ライトを迎え撃った一戦、この試合、ライトは「日本人に身贔屓をする」と九州山のレフェリングを拒否し、シリーズに参加していたレッド・ミラーをレフェリーに指名。力道山はこれを了承しました。

1本目は21分25秒にライトがリングアウト勝ち、2本目は力道山が4分42秒に体固め。決勝の3本目、腕を怪我していて空手チョップが思うように振るえない力道山が反則を繰り返すライトを見逃すミラーのレフェリングに苛立ち、レフェリーに暴行を加え、11分56秒に反則負け。

府立に詰めかけた観客はルールを熟知している訳もなく「力道が負けた!」と大騒ぎになりましたが、工藤雷介日本プロレスリング・コミッション事務局長が「反則負けではタイトルの移動はなし、力道山の防衛」と観客に説明し超満員の観客は胸を撫でおろしました。60年前(予想時点)では「力道山が負けた」というのは観客の暴動に発展しかねない大事件に該当しました。

力道山は「もう一度ライトとやる」と約束、1月30日の東京体育館でライトとインターナショナル王座を賭けて再戦を行い2−1で勝利を収めています。

力道山死後の64年2月、アメリカ武者修行に旅立った猪木はハワイから修行をスタートさせ、初戦は3月11日、ホノルル・シビックオーデトリアムでプリンス・カーチス・イヤウケアと対戦し1−1から反則負け。

初代PWF会長として知られるロード・ブレアースは猪木のタッグパートナーを務めており、79年8月26日、日本武道館で行われた「プロレス夢のオールスター戦」で猪木とブレアース会長が旧交を温める素敵な写真がゴング、プロレス誌増刊号に掲載されましたが、この時の関係によるものです。

4月にアメリカ本土に乗り込んだ猪木はミズーリ州、カンザス州のセントラルステーツ地区、西海岸のカリフォルニア州と転戦、その素質を買われ、パット・オコーナー、ザ・デストロイヤーといったトップスターと何度も対戦しメインイベンターとしての実績をつけました。

64年末からはワシントン州、オレゴン州に転戦、本記事にある65年の1月15日にはポートランドでマッド・ラシアン(スタン・プラスキー、ザ・ラシアンのリングネームで日本プロレス、全日本プロレスに来日)と対戦し敗れております。(試合時間、決まり手等不詳)ちなみにこの時の猪木のリングネームは「カジモト」。猪木は海外修行時には「リトル・トーキョー」、「トーキョー・トム」など現地のプロモーターが適当に付けたリングネームで闘っていました。

観客の気性が荒いことで知られるテキサス州、太平洋戦争による半日感情の強いテネシー州に行くのはこの後の話になります。

※対戦成績は118戦24勝94敗、勝率203。

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