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2020年01月23日23:03

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(14)

第80戦 4月10日発売号●【予想】藤波、ダイナマイト・キッド破りWWFジュニア・ヘビー級王座防衛もテレビ生中継が中断する放送事故。(81年新日本プロレス北九州市西日本総合展示場)【正解】猪木、ブラジルより帰国。(60年日本プロレス東京国際空港)【参考】2013年4月10日発売号は第9回チャンピオン・カーニバル公式戦、アブドーラ・ザ・ブッチャーvsブルーザー・ブロディ(81年全日本プロレス広島県立体育館)

【解説】18年12月5日、自身の60歳の誕生日に死去したダイナマイト・キッド、未だにキッドの功績を讃え、死を惜しむ声は後を絶ちませんが、この81年「WWFビッグ・ファイト・シリーズ第2弾」(インターナショナル・チャンピオンシップ予選)はキッドにも一つのターニングポイントとなったシリーズで、シリーズ最終戦の4月23日、蔵前国技館ではキッドはタイガーマスクのデビュー戦の相手を務めており、そこからタイガーマスクとのライバルストーリーがスタートする訳であります。

その前といえばキッドのライバルはWWFジュニア・ヘビー級王者の藤波で、新日本プロレス初参戦となった80年の「新春黄金シリーズ」では2月5日、愛知県体育館で藤波の同王座に挑戦。14分54秒、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ(回転足折り固め)で藤波が防衛。

この日が2度目の同王座挑戦でした。試合はテレビ生中継でしたが、試合の途中からテレビ画面が消えた状態に。10数分後、画面が映るようになった時は試合が決まっていました。21分37秒、ヘビー級転向を視野に入れていた藤波がジュニアでも軽量の部類に入るキッドを力技アルゼンチン・バックブリーカーでギブアップさせています。

放送事故の原因は電波の中継地点である関門海峡において貨物船が停泊してしまい、電波が寸断されてしまったことによるものでした。

猪木は横浜市鶴見区生麦町生まれ、寺尾中学校時代は砲丸投げの選手として活躍しましたが、中学2年〜3年生になろうとする57年2月、母方の祖父、相良寿郎の「ブラジルへ行って一旗上げるぞ」の一声で一家を上げてブラジルへ移住。

祖父寿郎は行きの船の中で青いバナナを食べたのが原因で腸閉塞を起こして船上で帰らぬ人となりました。享年77歳。猪木一家はブラジルに上陸するとコーヒー農園で働くようになりますが、やがて猪木はサンパウロ市で日系人が経営する青果市場で働き始めます。

中学校の時に熱中していた砲丸投げはブラジルへ行ってからも続け、兄と一緒に全伯大会で優勝。「コロニア(移民)の英雄」と現地紙に紹介されました。

60年、ブラジルに遠征して来た力道山にスカウトされてプロレス入り。猪木の自伝「燃えよ闘魂」(東京スポーツ新聞社刊、75年初版)、並びに76年に発売されたLPレコード「燃える闘魂アントニオ猪木」(CBSソニー)では猪木の証言として新聞を見た力道山が「こいつを探せ」と乗り出し、たまたま青果市場を経営していた日系人の児玉社長が力道山の知り合いで「この子ならウチにいる」と引き合わせした説になっていますが、

一方ではサンパウロでの力道山の試合を見た猪木が、プロレス入りをしたいと力道山に直談判してプロレス入りを決意したという説もあり、まあ、客観的に見て後者が正しいのかなぁと思います。

ホテルの一室で力道山と面会した猪木は「おい!裸になれ!」と言われ、服を脱いでパンツも脱ごうとしたところ、「馬鹿野郎!それは脱がなくていい」と怒鳴られたとのことです。猪木の身体を見た力道山は「預かるぞ」と一言。17歳の猪木少年のプロレス入りが決まりました。

60年4月10日、猪木は2年2か月ぶりに日本の土を踏み、翌4月11日、日本橋浪花町(現在の日本橋久松町)にある日本プロレスセンターの道場へ。そこでプロ野球の読売巨人軍からプロレス入りした馬場正平と運命的な出合いを果たし、この日2人同時にリングに上がり、入門の挨拶をしています。

そう言った意味では11日の入門挨拶の方が重要な出来事であると思います。

※対戦成績は80戦17勝63敗。
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