88年2月29日、後楽園ホールで開幕したビッグ・ファイト・シリーズには前年、新日本プロレスのリングに度々乱入していた海賊男がビリー&バリーのガスパーズとしてシリーズに参戦。
前年2月、フロリダで武藤敬司を突如襲撃、次期シリーズ3月2日、草加市スポーツ健康都市記念体育館での武藤vsジェリー・グレイの試合に乱入。
3月16日、岡崎市体育館にも乱入した海賊男は3月26日、大阪城ホールで行われた猪木vsマサ齋藤との一戦にも乱入。M齋藤に手錠をかけてメインイベントをぶち壊してしまいました。
ジャパン軍が復帰してからの6月9日、大阪府立体育会館では猪木、高田伸彦組と対戦するM齋藤のタッグパートナーがXになっていましたが「ミスター・パートナー」の名前で海賊男が出現しています。
海賊男は色々中身が入れ換わっているというのが定説になっており、最初にフロリダで武藤を襲ったのが猪木、大阪城ホールに乱入したのがブラック・キャット、ミスター・パートナーが小林邦昭説がありますが、いずれにしても観客からは受け入れられず。
そこで今回ガスパーズとして正式に試合に出す訳ですが、従来の海賊男とは明らかな別人で外国人レスラーの変身でした。
リーダーのビリーはマスク越しに発するしわがれた声が不気味さを増長させていましたが、独特のエルボーのフォームから正体はカウボーイ・ボブ・オートンであることが直ぐに判明。
バリーは86年2月にザ・ジャッカルとして新日本へ、87年5月にジェイソン・ザ・テリブルとして全日本に上がった選手の変身でした。
88年3月1日、新日本プロレスは無期限出場停止処分中の前田日明の解雇を発表。前田には新日本より「メキシコに修行に行ってやり直せ」という案を出したそうですが折り合いがつかず、解雇という結果に至りました。
新日本プロレスではUWF軍を解体させ、個別契約を結ぶことに。藤原喜明、木戸修は新日本と契約しています。
海賊男ではシリーズは当たらず、シリーズ最終戦の3月19日、後楽園ホールで猪木はビリー・ガスパーとシングルで対戦、ビリーのセコンドにいたバリーがリング下でビリーと入れ替わり、リング上のバリーを延髄斬りでフォールし猪木が勝ちましたが判定は覆らず。
この日行われた小林邦昭、保永昇男組vs高田伸彦、山崎一夫組の一戦は高田、山崎が殺気立った展開で喧嘩マッチを仕掛けています。
4月8日、新日本プロレスを解雇された前田が新生UWFの旗揚げを発表。プロレスファンは前田を支持しました。
一方の全日本プロレスではジャパン軍が去った後、天龍が「ジャンボの背中は見飽きた。輪島のお守りは疲れた」と決起し、全日本プロレス活性化の為、国際血盟軍でくすぶった存在だった阿修羅・原に声をかけて天龍同盟を結成。
87年8月31日、10月6日の日本武道館における鶴田との鶴龍対決(初戦はリングアウト、2戦目は反則で天龍の連勝)、PWF世界タッグ王座の奪取(87年9月3日、愛知県体育館でスタン・ハンセン、オースチン・アイドル組を破り奪取)など活躍。痛みの伝わるハードヒットな激しいプロレスで天龍革命を巻き起こしました。
外国人でもハンセンが天龍に対し闘志剥き出しのファイトで応戦し88年3月5日、秋田市立体育館での天龍、原組vsハンセン、テリー・ゴディ組の試合中で、龍原砲のサンドイッチ延髄斬りを食らったハンセンがリング上で失神。(試合結果は両チーム反則)
蘇生したハンセンは天龍を報復としてボコボコにしています。
超過激なプロレスを標榜していた時期もある新日本プロレスでしたが、リング上での内容は明らかに全日本プロレスのやっていることの方が遥かに過激であり、新日本のリングは低迷していくことになりました。
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