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2018年01月14日23:04

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週プロ流智美あの日あの時予想2017年総括(8)

14.12月13日発売号○スタン・ハンセン全日本へ。ザ・ファンクスvsブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ。(81年全日本プロレス蔵前国技館)

私がプロレスをテレビ観戦するようになったのが74年、会場観戦を開始したのが76年で、その43年間、生で観た出来事の中で「これを上回る衝撃はない」事件でした。

この年の5月、アブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍に端を発した全日本プロレスと新日本プロレスの引き抜き抗争は、互いのテレビ局の面子にかけても負けられない喧嘩となりました。

詳しくは別連載「猪木とビンス」、「ジャンボ鶴田怪物伝説」に新日本側からと全日本側、それぞれの立場から違う角度で書いており、そちらをご一読頂けると幸甚です。

ブッチャーを抜かれて激怒した馬場は81年のスーパー・パワー・シリーズを終えると密かに日本テレビ原章プロデューサー、元子夫人とカナダ、アメリカに出発。

カナダのトロントのタイガー・ジェット・シンの自宅に出向きシンと契約。テキサス州ダラスでハンセンと落ち合い、ハンセンが「ノーと言えない程の金額」を呈示し、ハンセンも獲得。

ハンセンはこの時、「ニュージャパンとの契約が年内一杯残っているけどいいか」と馬場に断りを入れ、馬場も「もちろん契約を終えて来てくれれば構わない」と快諾。

かくして、81年7月3日、熊谷市民体育館にシングが登場。

81年12月12日、横須賀市総合体育館に、2日前の10日まで新日本プロレスの大阪府立体育会館の試合に出場していたハンセンが姿を現しました。

百田義浩の先導で外国人側の控室に入って行きましたが、マスコミには「親友ブロディに会いに来ただけだ。騒がないで欲しい。明日にはアメリカに帰る」とコメントしていました。

翌12月13日、蔵前国技館、世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦、メインイベントはドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組のザ・ファンクス(11点)とブロディ、スヌーカ組(10点)の対戦。勝った方が優勝です。

後から入場してきたブロディ、スヌーカの後ろから、テンガロンハットに白の半袖シャツ、ジーンズという姿でハンセンが登場。

館内は大騒ぎとなり、ハンセンコールまで起きています。

リング下までやって来たハンセンはレフェリーのジョー樋口に退場を命じられると両手を大きく開いて「俺は何もしない」とアピール。

試合か始まって15分過ぎ、場外に落ちたテリーをブロディが捕まえて、ハンセンの方に振りました。

ハンセンは勢いよくダッシュしてテリーにウェスタン・ラリアット。紙テープの山の上にダウンし動けなくなったテリー。(テリーは両腕でしっかりガードしていた)ついにハンセンが実力行使に出ました。

リング上ではドリーがブロディ、スヌーカの2人を相手に孤軍奮闘。しかし、ドリーの攻撃はことごとくカットされてしまいます。

21分41秒、ブロディのキングコング・ニードロップの前に力尽きたドリーがフォール負け。ブロディ、スヌーカ組が初参加、初優勝。

ハンセンはついにリング上に上がり、飛び上がってブロディ、スヌーカ組の優勝を祝福、ついに全日本のリングに足を踏み入れてしまいました。

そこへ自分達のリングを荒らされたとして馬場、鶴田がファンクスの救援に入り、ハンセンと乱闘。

馬場の脳天チョップでハンセンは額から流血。(ハンセンがこの時ジーンズのポケットから剃刀のようなものを出して自ら額をカットしていた)。

ハンセンは国技館の通路で大暴れ。

馬場「ふさけんじゃないってんだよ、人の家(ウチ)に土足で上がって来て、え、そうでしょ!?来るなら堂々と来てもらいたいもんだ。彼(ハンセン)に言っておいてよ、ここのリングで待ってるって。じゃあ、表彰式行って来るから」

と怒りをあらわにしています。

流血したハンセンは国技館の通路を荒れ狂って走り回り大暴れ。

ついにハンセンの全日本プロレス登場が現実のものとなり、「プロレスブームではない。新日本プロレスブームだ」と豪語していた新間寿営業本部長、新日本プロレスのファンに大きな衝撃を与えました。
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