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2018年01月08日23:32

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週プロ流智美あの日あの時予想2017年総括(2)

1.9月6日発売号●【予想】初来日のザ・シークが来日第1戦で坂口を破りUN王座獲得。(72年日本プロレス田園コロシアム)【正解】猪木vsフリッツ・フォン・エリックUN戦。(71年日本プロレス札幌中島スポーツセンター)

【解説】第1回目は1年差での負け。勿論、札幌の猪木vsエリックも有力候補ではありましたが、ここは一択勝負ということで。

実はこの71年、猪木のUNに挑戦する予定だったのが初来日予定だったアラビアの怪人シークでした。

デトロイト地区のプロモーター兼業でもあったシークはスケジュールの都合で来日をキャンセル。代わりに来たのが超大物鉄の爪エリックでした。

エリックは9月4日、田園コロシアムで馬場のインターナショナル王座に挑戦した後、(1-1から反則負け)この日猪木のUNに挑戦。

1-1から両者リングアウトの引き分け。この年の3月にUN王者となった猪木と馬場が「短期間に共通の挑戦者を迎え撃った」最初で最後の機会で、結果はもとより内容も比較対象にされた試合でした。

その1年後の72年、馬場、猪木が抜けた日本プロレスにシークが初来日。この日坂口を2-1で破り、初来日でUN王座を奪取。

シークは田コロと翌9月7日、大阪府立体育会館の2試合のみの参戦で、大阪で坂口に2-0のストレート負け(反則負け含み)でベルトを置いて帰国しました。

2.9月13日発売号●【予想】馬場、シークと初の海外でのインター王座防衛戦。(69年ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム)【正解】グレート小鹿凱旋帰国、アブドーラ・ザ・ブッチャーと乱闘。(74年全日本プロレス後楽園ホール)

【解説】前週シークで敗れたことから2週連続シークで勝負。65年11月24日、大阪府立体育会館でのディック・ザ・ブルーザーとの王座決定戦を制し、復活インターナショナル王者となった馬場は日本プロレスのエースに君臨。

68年6月25日、愛知県体育館でボボ・ブラジルに敗れ一度は王座を失うも2日後の27日、蔵前国技館でベルトを奪回。

その後は11回の連続防衛に成功。この日が記念すべき海外での初の防衛戦となりました。試合は反則含みで馬場が2-1で勝利しています。

日本プロレスの残党だった小鹿は全日本プロレスに合流後、テキサス州に遠征に出発。カン・フー・リーのリングネームでヒールとして活躍。74年のジャイアント・シリーズに凱旋帰国しています。

開幕戦の後楽園のセミファイナル、サムソン・クツワダvsブッチャー戦に乱入。ブッチャーを椅子で攻撃し、試合はブッチャーの反則負けとなっています。

ちなみにこの日小鹿は試合が組まれておらず、日本テレビの全日本プロレス中継のゲストを務めています。

3.9月20日発売号●【予想】豊登、伏魔殿WWAの罠に落ちルーク・グラハムに敗れる。(65年ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム)【正解】アニマル浜口デビュー戦vs本郷清吉(肥後宗典、72年国際プロレス高簗市民体育館)

【解説】力道山の死から1年後、力道山最後の宿敵であったザ・デストロイヤーがWWA世界ヘビー級王者として来日、64年12月4日、東京体育館で豊登の挑戦を受けました。

試合は豊登が反則含みながら2-1で勝ち、力道山が生前強い執着を見せていたWWA世界王座を獲得しています。

しかし話はそこからややこしくなり、ベルトを日本に置いて帰国したはずのデストロイヤーが帰国後も王者としてWWAのリングに上がり続け、日本での王座移動はなかったことにされていました。

同王座はデストロイヤーからペドロ・モラレス、ルーク・グラハムへと移動。WWAの卑怯なやり方に怒った豊登はルークとの王座統一戦を申出ました。

65年9月8日、オリンピック・オーデトリアムで王座統一戦が実現、豊登が勝ってベルトを2本腰に巻きました。

ルーク側は即座にリターンマッチを要求。この日ロサンゼルスでルークが豊登に勝ち、豊登は丸腰で帰国。この直後に横領容疑で日本プロレスの社長の座を追われています。

当初、この日は猪木vsアノアロ・アティサノエ(84年新日本プロレス大阪府立体育会館)にしようと思っていましたが、「流さんなら豊登を書くだろう」と推測してこちらにしました。

今も浜口ジム代表、またアマレスの浜口京子の父親としてメディアに露出する事の多い浜口はこの日がデビュー戦。昔は地方会場でのデビューは当たり前でした。

4.9月27日発売号●【予想】キラー・カーン新日本プロレス興行(ジャパンプロレス)移籍会見。(84年)【正解】新日本プロレス初の台湾遠征第1戦。(85年高雄市体育館)

【解説】この日も1年差で負け。新日本プロレスは84年、前年から発生した猪木のアントンハイセル事業への新日本プロレスの興行収入流用疑惑が原因でタイガーマスクの退団、山本小鉄ら改革派による社内クーデターなど内部分裂が表面化。

この年UWFの旗揚げがあり、9月21日、長州力、浜口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇の維新軍が前年暮れに新日本を退職した元営業部長の大塚直樹が代表を務める新日本プロレス興行への移籍を発表。

9月25日には永源遥、栗栖正伸、仲野信市、新倉史裕、保永昇男が新日本興行へ。

この日米国WWFで活躍した実績を持つKカーンが移籍を発表。この時の離脱者はマサ齋藤、レフェリーのタイガー服部、若手の笹崎伸司を入れて14人となり、新日本に大きなダメージを与えました。

翌85年には、新日本勢は初の台湾遠征を敢行。定着するかと思われましたが何故かそれから半年にも満たない86年2月には全日本プロレスが招聘されて台湾に行っておりどちらも単発に終わってしまいました。
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