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2017年11月13日23:12

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(211)

クリス・マルコフは猪木の「出世試合」の対戦相手の1人でしたがやはり4年前に馬場に使い捨てにされた感は強く、シリーズ最終戦の11月1日、愛知県体育館で猪木とNWFヘビー級王座に挑戦と発表されましたが、9年半前の名勝負の再現は正直厳しいと思われました。

馬場が初代PWFヘビー級王者だった73年3月16日(この日正式に認定)〜78年6月1日、秋田市立体育館でキラー・トーア・カマタに反則負けで王座転落するまでの5年3か月の間、38度の防衛を果たしていますが、

挑戦者の中で、3本勝負で2-0のストレート負けを喫したのが4人います。この年の国際プロレス日本リーグ争覇戦に参加するプロフェッサー・タナカ(74年1月29日、郡山市総合体育館)、ブラックジャック・マリガン(同年11月7日、沼津市民体育館)、マルコフ(同年12月12日川崎市体育館)、オックス・ベーカー(75年10月14日、松山・愛媛県民会館)の4人。

いずれもアメリカではトップクラスの売れっ子でしたが、ストレート負けというのはプロモーター、馬場から見て「しょっぱい、使えない」という評価を下されていたと思います。

共通して言えるのは大型パワー&ラフファイターで試合が大味と言うのが特徴でした。

タナカはミスター・フジをパートナーに長くWWWFタッグ王座を保持、マリガンもブラックジャック・ランザとのブラックジャックスでWWWFタッグ王座を保持。

シングルでもアンドレ・ザ・ジャイアントの好敵手としてメインイベンター級扱いでした。WWWFの提携路線から77年8月には新日本に初登場、当初はエースとしての扱いでしたが、同じシリーズに来たスタン・ハンセンにエースの座を奪われてしまいました。

マルコフに関しては、マルコフが全日本に呼ばれた74年は猪木が馬場に再三に亘って対戦を要求していた年で、猪木と日本プロレス史に残る名勝負を展開して日本でも知名度が上がったマルコフをいいところなく潰して見せて、「馬場は猪木より強い」というアピールに利用されたに過ぎません。

ベーカーは75年春にNWA圏のミズーリ、カンザスのセントラル・ステーツ地区に転戦して来た流れから全日本に呼ばれていますが、馬場とのタイトルマッチに完敗した後は鶴田、ザ・デストロイヤーは勿論、グレート小鹿、大熊元司、高千穂明久、サムソン・クツワダにコロコロ負けて惨憺たる成績で帰国しています。

78年9月には古巣国際プロレスに出場、ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に金網デスマッチ、テキサスデスマッチで挑戦し本領を発揮。このまま国際のエースとして活躍するかと思いきや、帰国後はロサンゼルスに転戦。

ロサンゼルスと親密関係にあった新日本プロレスには80年11月、MSGタッグ・リーグ戦にジョニー・パワーズと組んで来ていますが精彩を欠いた試合ぶりで途中帰国させられました。

やはり所変われば品変わるです。

キラー・カール・クラップとブルート・バーナードは77年4月、ゴールデン・ファイト・シリーズ以来タッグを結成しての1年半ぶりの来日。

どちらも新日本プロレスの黎明期を支えたヒールレスラーのトップでした。クラップ、バーナード組は10月30日、岡山武道館で坂口、ストロング小林組の北米タッグ王座に挑戦が決定しています。。

チャボ・ゲレロは6月のサマー・ファイト・シリーズ以来1シリーズおいての来日で、前回は剛竜馬が藤波に挑戦した為、タイトル挑戦が見送りになった経緯があり、藤波のベルト永久保持がかかったV10戦が10月20日、寝屋川市民体育館で行われることになっています。
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