新WWWFジュニア・ヘビー級王者となり一躍スターダムにのし上がった炎の飛龍藤波辰巳は王座獲得後もアメリカ東部地区をで試合をし、78年2月20日にはニューヨークMSGの定期戦に再び出場しました。
テッド・アダムス(未来日)とWWWFジュニア・ヘビー王座防衛戦を行っています。
アダムスの前歴は明らかではありませんがおそらくWWWF地区のテレビマッチ専門のジョバーだと思われます。
アダムスは巻き投げやアームロック等基本的な動きは出来ますがこれといった特徴はなく、試合は16分3秒、藤波がジャーマン・スープレックスホールドで勝利、2度目の防衛に成功しています。
メインイベントは、2月8日、日本武道館で坂口征二をリングアウトで破り、WWWFヘビー級王座を防衛したスーパースター・ビリー・グラハムがミズーリ州セントルイスからやって来た「超新星」ボブ・バックランドの挑戦を受けて防衛戦を行っています。
挑戦者バックランドは黒いクラシックなロングガウン、白いタオルを首からかけたスタイルで入場。
王者グラハムは珍しく白の無地のロングタイツ姿。
パワーで真っ向から勝負のグラハムをバックランドは軽快なフットワークからのヒップトスで投げて見せ、さらにグラハムの腰を抱えてのジャーマン・スープレックスホールド、これは惜しくもグラハムがロープに足をかけたため2カウント。
バックランドはさらにグラハムを高々と担ぎ上げると滞空時間の長いハイアングル・アトミックドロップ。
これが見事に決まり、14分51秒、体固め。カウント3が入り、バックランドは1回の挑戦でベルト獲得、第8代WWWFヘビー級王者となりました。
49年ミネソタ州プリンストン出身のバックランドはこの時27歳。WWWFはヘビー、ジュニアとも王者が20代と若返り、世代交代を果たしています。
ヒール王者のグラハムは8か月の戴冠で終わりました。
バックランドは大学時代、アマレスNCAAで優勝の実績を誇り、72年にプロレス入り、テキサス州アマリロのザ・ファンクスの門下生となり、同期には日本から修行に来ていた全日本プロレスの鶴田、スタン・ハンセンがいました。
初来日は74年7月、全日本のサマー・アクション・シリーズで、ポジションは一番下で、鶴田との対戦も実現しますが番付の違いで全く歯が立たず。
しかし、若くてイキのいい試合ぶりは馬場に気に入られたか、75年1月の新春シリーズ、2月のエキサイト・シリーズと2シリーズ連続で全日本に呼ばれています。帰国後はミズーリ、カンザスといったセントラル・ステーツ地区で活躍し、76年4月23日にはミズーリ州セントルイス・キール・オーデトリアムでハーリー・レイスを破り、NWA世界ヘビー級王者の登竜門と言われたミズーリ州ヘビー級王座を獲得しています。
ログインしてコメントを確認・投稿する